ユーリー・サローミン
Arseniev
一九〇二年から数回にわたって地誌調査のためにシベリアを探検したウラジミール・アルセーニエフの「シベリアの密林を行く」と「デルス・ウザーラ」を基にしたソ連映画。製作はニコライ・シゾフと松江陽一、監督は黒澤明、脚本は黒澤明とユーリー・ナギービン、撮影は中井朝一とユーリー・ガントマンとフョードル・ドブロヌラボフ、美術はユーリー・ラクシャ、音楽はイサク・シュワルツ、協力監督は野上照代とウラジミール・ワシリーエフ、製作担当はカルレン・アガジャーノフ、通訳はレフ・コルシコフが各々担当。出演はユーリー・サローミン、マキシム・ムンズク、シュメイクル・チョクモロフ、ウラジミール・クレメナ、スヴェトラーナ・ダニエルチェンカなど。70ミリ。
第一部 地誌調査のためにコサック兵六名を率いてウスリー地方にやってきたアルセーニエフ(Y・サローミン)がはじめてデルス(M・ムンズク)に会ったのは一九〇二年秋のある夜だった。隊員たちが熊と見まちがえたくらい、その動作は敏捷だった。鹿のナメシ皮のジャケットとズボンをつけたゴリド人デルスは、天然痘で妻子をなくした天涯狐独の猟師で、家を持たず密林の中で自然と共に暮らしている、とたどたどしい口調で語った。翌日からデルスは一行の案内人として同行することになった。ある日、アルセーニエフとデルスがハンカ湖付近の踏査に出かけた時のことである。気候は突如として急変し、静かだった湖は不気味な唸りをあげはじめた。迫りくる夕闇と同時に、横なぐりの吹雪が襲ってきた。デルスは、アルセーニエフに草を刈り取ることを命じ、二人は厳寒に耐えながら草を刈り続けた。あまりの寒さと疲労のために気を失ったアルセーニエフが気づくと、あれほど荒れ狂っていた吹雪がおさまりもとの静けさをとり戻していた。デルスが草で作った急造の野営小屋のおかげで凍死をまぬがれたのだ。シベリヤの短い秋が終わり、やがて厳しい冬がやってきた。食料を積んだソリを氷の割れ目に落とし、寒さの他に飢餓が彼らを苦しめた。この時もデルスの鋭い観察眼が一行を救った。第一次の地誌調査の目的を達したアルセーニエフの一行はウラジオストックに帰ることになり、彼はデルスを自分の家に誘ったがデルスは弾丸を少し貰うと、一行に別れを告げて密林に帰っていった。 第二部 一九〇七年。再度ウスリー地方に探検したアルセーニエフはデルスと再会した。その頃ウスリーには、フンフーズと呼ばれる匪賊が徘徊し、土着民の生活を破壊していた。フンフーズに襲われた土着民を助けたデルスはジャン・バオ(S・チャクモロフ)という討伐隊長にフンフーズ追跡を依頼した。その頃から、忍びよる老いと密林の恐ろしい孤独が次第にデルスをむしばんでいった。視力が急速におとろえたデルスを、アンバ(ウスリーの虎)の幻影が苦しめ極度に恐れさせた。猟ができなくなったデルスは既に密林に住むことは許されない。あれほど都市の生活を嫌っていたデルスはアルセーニエフの誘いに応じ彼の家に住むことになった。しかし、密林以外で生活したことのないデルスにとって、自然の摂理にそむいた都会生活は、彼の肉体と精神をむしばむばかりだった。そのデルスの苦悩を、アルセーニエフやその妻(S・ダニエルチェンカ)もいやすことができなかった。密林に帰ることになったデルスに、アルセーニエフは最新式の銃を贈った。だが、そのアルセーニエフの好意がとりかえしのつかない災いを招くことになった。デルスは行きずりの強盗にその銃を奪われ、他殺死体として発見されたのだ。アルセーニエフは、冷たい土の中に埋められていくデルスの変わりはてた姿を見ながら慟哭していた。
Arseniev
Dersu
Jan Bao
Turtwigin
Mrs. Arseniev
監督、脚本
脚本
原作
製作
製作
撮影
撮影
撮影
音楽
美術
協力監督
協力監督
製作進行
通訳
[c]キネマ旬報社