監督、脚本
ヒマラヤの高峰K2はイタリアの国家的な意気ごみのもとに、地質学者アルディート・デジオを隊長とする遠征隊によって、一九五四年七月三一日、頂上が征服された。この映画は際員として随行したカメラマンのマリオ・ファンティンによって撮影された。一九五一年以来、まる三カ年に及ぶ準備期間、遠征隊編成のためにさらに四カ月、そして六カ月の登攀期間を費した。メンバーは科学班四人、登攀班一二人、それに医師と映画カメラマンから成っている。
ストーリー
世界第二の高峰、K2はその登頂のむずかしさという点では世界最大のものである。一九五四年、イタリアの国家的な意気ごみのもとに、地質学者アルディート・デジオを隊長とする一行がこの山に挑戦した。一行はバルトコ氷河を通りぬけ、九つのキャンプを経て忍耐強い前進を続けた。アブルッツィ稜で、最も勇敢だった隊員の一人、マリオ・プジョーズが死んだ。「人殺しの山」といわれるこの高峰が、またもや一人の犠牲を強いたのだ。この貴い犠牲に、ふるいたたせられた隊員たちは最後の力をふりしぼって、頂上真下の鞍部に最終キャンプを設営した。七月三十日、コンパニョーニ、ラチェデリの二人は第九キャンプを後にした。そしてマスクの中の酸素がカラになったとき、標高八千六百十一メートルのK2山頂にイタリアとパキスタンの国旗が静かに打ち立てられたのであった。七月三十一日午後六時であった。
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