ジャンヌ・マリー・ローラン
The Mother
第1次世界大戦終結10周年記念としてかつて「翡翠の箱」「ふもと」を作った事により我国にも知られているレオン・ポアリエ氏がフランス上下の賛助のもとに大成した記録的映画である。映画は当時の史実を今そのまま再現するにあるが、その史実を縫って、フランス兵士、ドイツ兵士、ドイツ帝国の老将軍、母、息子、妻、といった様にシンボリカルな役を与えられた人物が、テーマを語る。これ等の人物に扮するのは、「娘の好きな」のアルベール・プレジャン氏、「ふもと」のトミー・ブールデル氏、「征服されし人々」のモーリス・シュッツ氏、「画家と女店員」のジャン・デェリー氏、「在りし日のナポレオン」のシュザンヌ・ビアンケッティ嬢、「修羅の猛将」のジョゼ・ダヴェール氏、それからフランスの古くからの性格俳優たるアンドレ・ノクス氏、ドイツ劇壇の利け者ハンス・ブラウゼウェッター氏、等の人々である。(無声版。1935年に日本語音声をつけて「ヴェルダン 歴史の幻想」のタイトルで再公開)
ローレン戦線に近く、ミューズに跨る静かな牧草地に取囲られ、ドゥオーモン、ヴォーそのほかウーヴル平野の多くの大堡塁が自然の障壁をなす小山脈を北にし、僅々四十哩の彼方にメッツのドイツ軍を控えた、約二万の人口を有する衛戍地--ヴェルダン。世界大戦の一大ドラマの中心舞台となった歴史の町、ヴェルダンは此処である。1916年に於けるヴェルダンはドイツ軍にとっても、またフランス軍にとっても最も重要なものであった。その2月、ドイツ皇太子はウーヴルの平野を横切って、ステネイなるティリワルの館にその本営を置いた。カイゼルよりの使者により、老巧ドイツ軍元帥はこれに向かって攻撃を開始する事とした。彼らはヴェルダンは一週間にし陥るものと確信していた。2月19日と20日の間に、ドイツフランス両軍の主力は狭い戦線対峠し、21日の早朝には、ドイツ軍は25万の兵と1 852門の砲の集中を完了するのに対し、フランス軍は漸く13万の兵と632門の砲とをもって、死線固守の位置に立った。斯くてドイツ軍の猛襲は、フランス軍の苦悶を圧し続け、続く二日に亘り、ドイツ軍はその戦線を前進し、ドゥオーモンの斜面に達した。25日、ジョッフル元帥はヴェルダンに命令を発し、要塞死守の事を布告する。が、このドゥーモン堡塁も陥ちた。世界はこの噂に狂騰する。4月、5月、フランス軍は援軍を得つつ、よく死守した。ドイツ軍元帥はフランス軍左翼突破に失敗し、今やヴォー、ドゥーモン及びスーヴィルの戦に対し高い犠牲を払うとともにこれを突破し様とした。三ケ突きに亘り、ドイツ軍は一日約8 000発の砲弾をヴォー堡塁に注ぎ、6月2日暁の2時を以て進軍する。ヴォー堡塁はライナル大尉指揮の下に歩兵四箇大隊を以て死守していたが、悪戦苦闘の限りを尽くし、全く戦闘力を失うに至るまで大尉指揮下の勇士はこれを守備した。が、これも陥ちた。ヴェルダンの司令官ニヴル将軍はいよいよ最後の戦闘に入ることを知り、此処に一斉逆襲に出ようとした。7月1日、英仏連合軍はソンムを攻撃し、ヴェルダン戦線に於けるドイツ軍の後衛を応援した。がドイツ軍元帥は尚、その攻撃を続ける。時にフランス軍は俄然逆襲に出た。斯くて戦闘五ケ月の後、皇太子軍は遂にヴェルダン奪取の計画を放棄しなければならなくなった。10月、フランス軍の進軍、そして11月2日、ドゥオーモンとヴォーは奪還される。やがて1918年11月はめぐり来た。連合軍の勝利と、ドイツ軍老元帥の失意と。フランスの町々村々に平和と勝利の鐘が鳴り渡った。
The Mother
The Son
The Intellectual
The Poilu
The German Officer
Fritz
The German Field Marshal
The Old Peasant
The Wife
The Husband
The Youth (The Old Peasant's Son)
The British Tommy
The Padre
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