春の驟雨
春の驟雨
-

春の驟雨

1932年公開
  • 上映館を探す
  • みたい
    0
  • みた
    0
評価、レビューが削除されますがよろしいでしょうか?

「都会の哀愁」の一編を以て名を挙げた細菌学者にして映画人たるパウル・フェヨスが故郷ハンガリーに帰って監督した第一回作品である。物語はハンガリーの伝説に取材したもので、閨秀作家エローナ・フェロェプが脚色に当った。撮影は「ダイナマイト」「鉄窓の女」のペヴェレル・マーレィの担任。セットのセルジュ・ピメノフ、作曲のL・アンジアル、は何れも生粋のハンガリー人である。主演者は「巴里祭」「ル・ミリオン」のアナベラである。

ストーリー

首都ブダペストに程近いハンガリーのある小村で十七歳のマリイは女中奉公をしていた。夜も昼も別ちなく働かねばならない身の上だったが、年若いマリイは何となく世の中が楽しかった。春のブスタ。アカシアの匂い。暖かい陽の光。十七の春。ある夜、主人の娘が舞踏会で踊り疲れて帰って来るのを、送って来た男は若いマリイの裸足になった処女らしい魅惑に満ちた姿に心惹かれた。男にからかわれた事のないマリイは、心浮き立ち、男の言うがままに緑のブスタを仮のしとねとしたのだった。しかしそれは僅か一夜の喜びだった。翌る日から男は見向きもしなかった。そしてマリイは身重になってしまった。しかし彼女はそれを悔いる代りに人知れず喜んで、生れ出ずる緑児の為に母としての用意をしていた。それを女主人に見咎められて、ふしだら女と罵られて解雇されてしまった。次から次へとマリイは働き口を求めていったが、何処でも相手にされなかった。途方に暮れたマリイは雪の降るクリスマスの夜、思い切って扉を排して入った曖昧宿カフェェ・フォルチュナで、美しい女児を産み落した。脂粉の女達は世間の虐げられたマリイに優しくしてくれた。赤ん坊の為喜んで世話をした。マリイは父親のない子を産んだが、洗礼は出来ないにしても故里の教会堂へ連れて行きたかった。ある日曜日の朝、晴着を着てマリイはみどり児を抱いて教会堂へ行った。弥撒の讃歌の中を彼女は聖母像の方へ歩んだ。聖母マリアも幼な児のイエスを抱いて誇らかに微笑んでいられる。マリイとてもこのみどり児を持って何故卑下する必要があろう。彼女は聖母の如く強くなったのである。忍びやかに入った教会堂から出て行くマリイは昂然と胸を張っていた。しかしマリイの悦びも法律の鋼鉄の手に毀かれた。不道徳な場所から赤ん坊は取上げられて育児院へ送られた。マリイは失神した様になってカフェェ・フォルチュナを去った。かくてマリイは狂女として遇された。遥い歩いた彼女はいつか故里の教会堂に辿り着いた。聖母は今日も御子イエスを抱いて微笑んでいられる。それなのに自分は--マリイは聖母に訴えようとしたが、力尽きて御像の前に倒れた。そして彼女の霊魂は昇天した。マリイは天国でも女中だった。黄金の床を彼女は拭き清めた。かくて十六年は過ぎた。ある日マリイはふと下界を見下した。そこに十七になった彼女の娘が恥ずかしそうにもじもじしていた。傍には金持の若者が笑っていた。マリイは気も顛倒した。娘が自分と同じ運命に陥ろうとしているのだ。マリイは黄金のバケツを傾けて水を注いだ。下界では時ならぬ驟雨だ。娘は家へ駆込み、若者は立ち去った。マリイは胸を撫でおろした。春の驟雨--マリイの雨は、こうしてハンガリーの緑のブスタを濡らして、多くの処女の純潔を守りのである。

映画レビュー

まだレビューはありません。
レビューを投稿してみませんか?

コラム・インタビュー・イベント

ニュース

作品データ

原題
Marie
製作年
1932年
製作国
フランス
配給
東和商事
初公開日
1932年
製作会社
オッソ


[c]キネマ旬報社