鷲の指輪
鷲の指輪
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鷲の指輪

1994年12月10日公開
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ポーランド映画界の巨匠、アンジェイ・ワイダ監督が自国の民主化に伴い、長年夢を見ながらかなわなかった2つの企画として、「コルチャック先生」に続いて完成させた監督第30作。「灰とダイヤモンド」から35年を経て、再びワルシャワ蜂起時代の青春像を通して、ポーランドの歴史の悲劇を描いた一編。共産主義体制の厳しい検閲下にあった「灰とダイヤモンド」や「地下水道」では描ききれなかった当時の政治的状況が、より克明につづられている。また、「灰とダイヤモンド」の主人公マチェックが登場して同作の有名な酒場の場面を再現し、2作をシンクロさせている。原作はワイダの「大理石の男」「鉄の男」の脚本を手掛けたアレクサンドル・シチボル・リルスキが60年代に書き、検閲を恐れて未発表だった小説『馬の毛の指輪』。脚本はワイダ、マチェイ・カルビンスキ、アンジェイ・コトコフスキの共同。製作はヤヌーシュ・モルゲンスターン。撮影はダリウシュ・クッツ、音楽はズビグニエフ・グルニ。主演は本作がデビューのラファウ・クルリコフス。共演はアグニェシカ・ヴァグネルほか。

ストーリー

1944年8月1日。ロンドン亡命政権の指揮下にある対地下軍事組織“国内軍”は、ワルシャワ市内の各部隊を一斉に蜂起させた。市内で待機中の国内軍兵士マルチン(ラファウ・クルリコフスキ)は、シタイネルト大尉(ピョートル・バイオル)の命で作戦の指揮を取る。国内軍は多くの市民を巻き込んで、ソヴィエト軍の支援を得られずに敗北する。力尽きたマルチンも一市民として非難するが、ウクライナ兵によって恋人ヴィシカ(アグニェシカ・ヴァグネル)が連れ去られ、彼女が大事にしていたポーランドの紋章をあしらった指輪をマルチンに残して、2人は離れ離れになる。マルチンはシタイネルトの命令で、対ソ連地下軍事組織“ニエ機関”へ参加する。元部下たちへ機関の存在を伝え、軽率な行動をとらぬよう説得して回った彼は、蜂起の時に知り合った、モスクワ指揮下で共産主義を信奉する兵士タタル(ミロスワフ・バカ)と再会した。45年、ソ連はワルシャワを解放した。完全にソ連の支配下に置かれた市内で、マルチンは共産側との接触を進める。まず、タタルのいる労働党地区本部を訪ね、彼の運転手の職を求めた。ポーランドの共産化を任務とした国家保安局の士官、コショール中尉(ツェザルイ・パズーラ)はマルチンを疑い、様々な罠を仕掛ける。コショールはある日、マルチンに運転させて近くの駅に向かう。マルチンはそこで、ソ連軍に投降しシベリア送りになる国内軍兵士たちを見るが、彼らの誇りを失わない姿にマルチンも涙を流す。彼の指輪に不信を抱いたコショールは、旧ポーランドを象微する鷲の王冠を削り取ってしまう。コショールは、護送される兵士の中からニエ機関のプラヴジッチ大佐(イェジー・カマス)を連れ出し、人里離れた家に移送する。彼はプラヴジッチとマルチンに、ポーランドの将来はソ連に託されることが決まったこと、欧米諸国からは何の期待もできないことを知らせ、共産側との話し合いを勧めた。マルチンの橋渡しにより、プラヴジッチとシタイネルトは話し合いに向かったが、これは罠で、2人を初めニエ機関の同志は次々と逮捕されていった。マルチンは機関のアジトでヴィシカと再会するが、彼女はもう彼にも指輪にも興味がないとばかりに去った。プラヴジッチらが逮捕されたことで仲間たちからも疑いの目を向けられた彼は、耐えがたい絶望の末に、拳銃で自殺した。

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作品データ

原題
Pierschonek z Orem w Koronie
製作年
1992年
製作国
ポーランド イギリス フランス ドイツ
配給
へラルド・エース=日本へラルド
初公開日
1994年12月10日
製作会社
スタジオ・フィルモア・ペルスベクティヴァ=ヘリテイジ・フィルムズ=シネ・エレクトラ=エラート・フィルムズ=レジーナ・ツイーグラー・フィルムプロ


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