クオ・カーユイ
楚楚(チュチュ)
第二次大戦前夜、ロシアに留学した中国人少年少女の数奇な運命を通し、戦争の悲惨さを訴えた反戦映画の大作。全編ロシア・ロケ、キャストのほとんどがロシアとドイツ人俳優、台詞の多くもこの2ヶ国語と、従来の中国映画の概念を大きく打ち破る異色作。「僕たちは戦争を憎んでいる」との監督の発言どおり、苛烈なタッチが胸を打つ。企画・製作・監督・脚色の4役を務めたのは『失われた青春』(88、日本未公開)で第五世代に次ぐ若手映像作家と呼ばれた葉纓。同作の原作者でもある人気作家・王朔と企画を立て、国内に存命中のソ連留学経験者10数名に取材し、3年を費やしてシナリオ化。92年に一旦クランク・インするも中断、94年にロシアのゴーリキー青少年映画製作所の協力で撮影を再開し、完成にこぎ着けた。主演の郭柯宇と徐嘯力は映画初出演の新人。少女ナディアを演じるリアンナ・イリニツカヤは、ロシアの人気子役スター。『第19回中国映画祭95』で初上映された。
40年冬、モスクワ。イワノフ・インーナショナル・スクールに、革命さなかの中国から、13歳の少女チュチュ(郭柯宇)と12歳の少年ルオ(徐嘯力)が編入し、ワトキン校長やヴェラ先生は彼らを温かく迎える。生活にも慣れてきた頃、ロシア語スピーチ試験の日。チュチュは、自分が革命家の両親に望まれていなかった子であること、父親が処刑場で無残な最期を遂げたことを語る。スピーチはいつしか、北京語に変わっていた。41年夏、ベラルーシ(白ロシア)。サマーキャンプに出掛けた子供たちを襲ったのは、ドイツ軍の侵攻だった。キャンプ場は捕らえられた彼らの収容所と化し、ヴェラ先生はドイツ兵に射殺された。ドイツ人の母と中国人の父を持つ少年カールは、ドイツ軍にひとり立ち向かうが、ファシズムを呪いながら息絶える。モスクワ、秋。学童疎開が実施された後もルオは留まりつづけ、ドイツ兵をパチンコで狙い撃ちしていた。42年、区長に助けられたルオは死亡通知の配達人となり、少女ナディアと出会う。彼は母親の死も理解できない彼女の父親となる。冬、チュチュは芸術家を自認するフォン・ディートリヒ将軍によって背中一面に刺青を彫られてしまう。ドイツ軍の敗色が濃くなった44年、将軍はチュチュを開放したのち、自殺する。一方、ルオはドイツ兵に追われ、ナディアの目の前で壮絶な爆死を遂げた。終戦後、チュチュは難民収容所に保護されるが、刺青を呪って自ら背中を焼いた。事情を知った党中央部は、皮膚の移植手術を行う。病院でチュチュはナディアと初めて会い、「ルオは私のパパよ」と言う彼女を抱きしめた。チュチュはやがて北京に戻り、65歳で世を去った。手術は成功せず、彼女は一生独身だった。
楚楚(チュチュ)
羅小蛮(ルオ・シャオマン)
ヴェラ先生
トーニャおばさん
ワトキン学院長
フォン・ディートリヒ将軍
カール・チャン
ナディア
監督、製作、企画、脚色
脚本
製作
製作総指揮
撮影、脚色
音楽
美術
美術
録音
企画
脚色
字幕
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