樋口可南子
志藤光子
女二人、男一人の愛欲生活を描く。谷崎潤一郎の同名の小説の映画化で、脚本は「復讐するは我にあり」の馬場当、監督は「純」の横山博人、撮影は「忍者武芸帖 百地三太夫」の中島徹がそれぞれ担当。
現職の刑事、柿内剛の妻、園子は、とある瀟洒な食器店で、ついフラフラと銀のスプーンを万引してしまい、その現場をOLの志藤光子に目撃されてしまう。この事件が公けにされれば、夫は職を追われる。園子は光子のなすがままにされ、その日から、二人の愛が始まった。そして、光子との陶酔的な愛欲に溺れる園子は、剛の性的要求にも応えられなくなってしまう。園子の変化に不審を抱いた剛は、部下に妻を尾行させ、光子のマンションを突きとめた。剛は園子を連れて光子のマンションに押しかけるが、二人はそ知らぬふりをする。二人の愛はますます深まり、一緒に墓に入ろうとまで誓いあい、生理のリズムまで合わせるようになる。鎌倉でデートをした帰り、遅くなったので、園子は友人の祥子のアパートに泊った。妊娠六ヵ月の祥子の部屋には、愛人の産婦人科医、法月もおり、彼は夜中、園子に手を出そうとして、彼女は自宅に逃げ帰った。その頃、光子のもとに母親の千草が大阪からやって来た。男狂いの千草はいい年をして、子をはらんでおり、園子の紹介で法月が堕胎処置を行なった。ついに園子は自宅にまで光子を連れて来るようになる。「お前たちはレズだろう」となじる剛。そして、女二人、男一人がひとつの部屋に川の字になって寝る奇妙な生活が始まった。やがて剛は、光子に関係を迫り、彼女もそれを受け入れる。複雑奇妙な関係から、三人は不眠症に襲われ、来る夜も、来る夜も、順ぐりに取り調べ官や被疑者になるゲームを始めた。そして、この大人に不似合なサディスティックなゲームは果てしなく続いていく。
監督
脚本
撮影
音楽
美術
編集
照明
録音
助監督
企画
企画
プロデューサー
プロデューサー
スチール
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