ロバート・ショウ
Gen._George_Custer
バーナード・ゴードンとジュリアン・ヘルヴィの脚本をドイツ生れのベテラン、ロバート・シオドマクが監督した西部劇。撮影はセシリオ・パニアガ、音楽はスペインの新人ベルナルド・セガールが担当した。出演は「わが命つきるとも」のロバート・ショウ、「息子と恋人」のメアリー・ユーア、「特攻大作戦」のロバート・ライアン、のほかタイ・ハーディン、ジェフリー・ハンター、キーロン・ムーアなど。製作は「バルジ大作戦」のフィリップ・ヨーダン。
南北戦争の際、北軍の勝利の糸口をひらいたカスター(ロバート・ショウ)は、終戦の時には名誉少将になっていた。彼のよき理解者シェリダン将軍は、戦後の平和な社会に生きられないカスターを西部に派遣しインディアン討伐の任務を与えた。カスターはエリザベス夫人(メアリー・ユーア)とともに出発し第7騎兵隊と合流した。第7騎兵隊には実践経験十分なベンティーン中尉(ジェフリー・ハンター)と新任のハウェル中尉の2人の副官ほか、優秀な将兵がそろっていたが、ただひとり、のんだくれのリノ少佐(タイ・ハーディン)だけがカスターの気にかかった。第1回目のシャイアン族討伐の際、追撃に追撃をかさねて撃滅させたものの、酋長“なまくらナイフ”(キーロン・ムーア)だけは、とり逃がしてしまった。その後もシャイアン族の白人に対する残虐なみな殺し事件や、開通したばかりの鉄道の列車転覆などが続発し、カスターは責任を問われ、解任された。しかし、妻エリザベスは、カスターの書いた大統領宛てのひどい手紙を、別の手紙にすりかえて送り、真意を知った大統領は、カスターを第7騎兵隊の司令官に復帰させた。晴れて西部へ帰ったカスターはインディアン攻撃のプランを立てたが、一方、インディアンも全種族をあげて大規模な反乱を起こし、騎兵隊に最後の決戦を挑んできた。騎兵隊は1867年6月26日総攻撃の手はずを整えた。しかし1日前の25日、何千というインディアンが、シャイアン族の酋長“なまくらナイフ”に率いられ突撃してきた。受けるはカスターの率いる二百数十名の本隊のみ。多勢に無勢であった。後方で待機していたハウェル中尉の一隊も、本隊救援に向かい、ベンティーンの率いる一隊も急行したが、撃退された。インディアンの猛攻に、さしもの本隊も全滅し、残っているのはカスターのみ。これは作戦で、インディアンは最後までカスターを残し、なぶり殺しにしようというのであった。死体の山からインディアンが引きあげたとき、生き残っていたのは、カスター将軍の白い愛馬コマンチだけであった。
Gen._George_Custer
Elizabeth_Custer
Lieut._Benteen
Sgt._Mulligan
Major_Marcus_Reo
Lieut._Howells
Sgt._Buckley
Gen._Philip Sheridan
The_Cheynne_Chief
The_Goldminer
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