新どぶ川学級
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新どぶ川学級

1976年3月13日公開、113分
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“ドレイ工場”日本ロールの解雇撤回闘争中に労働者の子供たちを集めて開いた“どぶ川学級”を記録した須長茂夫の同名原作の映画化の第2作目。脚本は「アフリカの鳥」の勝目貴久、監督は脚本も執筆している新人・岡本孝二、撮影は「大江戸 (秘)おんな医者あらし」の森勝がそれぞれ担当。

ストーリー

“どぶ川学級”の子供たちの中に、中学3年になる千恵子と中学2年の正夫の姉妹がいる。千恵子たちの家庭は、父親が争議で職場を離れて以来長いこと床についており、母親が朝から夜まで働きづめで生活を支えていた。そんなある日、父親が救急車で運ばれていった。正夫は、母からは父は胃潰瘍だと聞かされていたのだが、他人が父は精神病院に入れられたと、噂しているのを聞き、ショックを受け、以来、急激に非行の道に走っていった。ある日“どぶ川学級”に、良家の一人息子の啓一が入級して来た。啓一が両親の期待に押し潰されそうになっていたので、担当の良子先生が須藤に頼み込んだのだった。一方、須藤はグレた正夫に説教したが、正夫は反撥するだけだった。そんな時正夫はションボリしている啓一と会った。啓一は正夫に、サケが産卵のために傷だらけになりながら流れをさかのぼっていく話をし、自分もそういうひたむきな人生を送りたい、と語った。翌日、啓一の死体が川岸に上った。母親の過大な要求が啓一の夢をぶち壊したのだった。深い怒りと絶望に打ちのめされた須藤は、姉の節子に励まされ故郷の伊那へ帰った。そんな時、正夫から手紙が釆た。「サケのようにひたむきに生きたいと言った啓一の最後の言葉が今も耳にこびりついて離れません。……おれは啓一が自分にひたむきに生きたかったからこそ自らの命を断ったんだと思います。それにくらべて今迄のおれはなんと甘ちゃんで底が浅かったか……学級の仲間に謝ってまた仲間に入れて貰おうと思います……一日も早く帰って来て下さい」“どぶ川学級”に戻った須藤は千恵子がなぜ進学できないか子供たちと考えあった。「貧乏だから高校へ行けないのは差別だ」と言う仲間に、千恵子は「ほんとうは高校へ行きたい」と涙なからに叫び、進学を決心するのだった。

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作品データ

製作年
1976年
製作国
日本
配給
日活
初公開日
1976年3月13日
上映時間
113分
製作会社
日活映画


[c]キネマ旬報社