安藤昇のわが逃亡とSEXの記録
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安藤昇のわが逃亡とSEXの記録

1976年10月1日公開、85分
R15+
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昭和33年、安藤組最大の襲撃事件における安藤昇の逃亡34日間の性生活を実録タッチで描く。脚本は「トルコ風呂(秘)昇天」の高田純、監督は「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」の田中登が「神戸国際ギャング」に続いて東映で演出する。撮影は「キンキンのルンペン大将」の花沢鎮男がそれぞれ担当。

ストーリー

昭和33年6月11日、午後2時。安藤興業社長安藤昇は、債券取り立ての依頼を受けて、銀座の極東船舶社長早川哲司を訪ねた。しかし、早川は「やくざの出る幕じゃない」と安藤を追い帰した。安藤は事務所に帰ると、幹部を召集して、早川襲撃を命じた。同日午後7時。早川の事務所に安藤組組員船橋一也が忍び込んだ。船橋は早川を確認して、肩をめがけて銃弾を発射した。一方、安藤はアリバイ工作のために、その頃東京駅発大阪行特急こだまに乗り込んでいた。同日午後11時。熱海・菊井旅館の一室で、安藤は行きずりのバーのマダムと刹那的なセックスに陶酔した。何かに取り憑かれたような兇暴さで女を攻めたてる安藤。エクスタシーに達する女。その時、ノックの音がして、古山と進藤が早川襲撃成功の知らせを運んで来た。翌日、安藤は古山・進藤を連れて小田急下北沢ヘ向った。その途中、早川襲撃事件の新聞の見出しに、逮捕状が出ている事を知った安藤は、トップ屋森に会い、事情を聞いた。森によると、警視庁は、一課、二課、三課、築地署合同で下山事件以来の大捜査体制を引いている事を知った。安藤は、組員全員に徹底的な逃亡を命じた。古山らと別れた安藤は、代々木に一人で住む愛人泰子のマンションへ行った。久しぶりの対面に、19歳の泰子と追われる身の安藤は、我を忘れるような激しいセックスに陶酔した。一方、警察は早川襲撃の犯人として、船橋ではなく、河原に目を向けていた。それを知った安藤は、河原を犯人に仕立てて、捕まっても裁判になるまで犯人になりきるよう河原に命じた。河原は東北方面へ、船橋・進藤は甲州街道を逃走した。安藤は、警察の捜査網をかいくぐって、都内に潜伏し、愛人宅を点々とするのだった。泰子と別れた安藤は家宅捜査された赤坂の山岸旗江のマンションに身を隠した。4ヵ月ぶりの安藤と旗江は、互いの肉体を知り尽した者同志の官能的セックスに身を沈めた。安藤は数日間、旗江と過した後、30万円を置いて次の愛人田代文子と共に友人の田所邸に潜伏した。踊り子の文子は、スラリとした足とボリュームのある乳房で安藤を悩殺した。田所邸での二人の生活は逃亡期間中、最も長く10日間を数えたという。そしてこの頃、山梨のドヤ街で船橋・進藤が逮捕され、全国に散った安藤組組員の8割が逮捕された。都内潜伏は限界と見た安藤は、文子と別れて、古山の探した次のアジトへ向った。真夏の7月。葉山の貸別荘で、安藤と古山は釣をしたり、将棋を指したりの毎日を送った。7月12日。逃亡中の河原が死に、警視庁は先に逮捕した船橋を徹底追求する方針を固めたとのテレビニュースが流された。7月15日。安藤は、警官数十人が取り囲むなか、葉山の有閑マダムをプールサイドで犯した。その表情には、男の無情感が漂っていた。ここに安藤昇、34日間の逃亡とSEXの記録は終るのだった。

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作品データ

映倫区分
R15+
製作年
1976年
製作国
日本
配給
東映
初公開日
1976年10月1日
上映時間
85分
製作会社
東映東京映画


[c]キネマ旬報社