萬屋錦之介
大石内蔵助
日本人にとって民族の大ロマンとして語り継がれ、小説、演劇、映画など多くのジャンルで数々の名作を生んできた“忠臣蔵”の25回目の映画化。原作・脚本は「野性の証明」の高田宏治、監督は「宇宙からのメッセージ MESSAGE_from_SPACE」の深作欣二、撮影監督は宮島義勇、撮影は仲沢半次郎がそれぞれを担当している。
元禄十四年三月十四日早駕篭が“浅野内匠頭長矩は、吉良上野介に対し、場所がらもわきまえず、刃傷に及び不届につき、即刻切腹なり”の報を持って赤穂に向かった。三月十九日、赤穂に入ったお家断絶、ご領地お召し上げの報に、即刻城中で大評定が行なわれ、篭城、殉死、仇討、解散と話は続いた。そして大石内蔵助は、お家最後の評定に集まった家臣の者から覚悟の上の誓紙血判を集め、時節到来まで隠忍自重することを約し、ひとまず開城のむねを発表する。六月二十四日、亡君百ケ日の法要を営んだ大石は翌二十五日、一介の素浪人として山科へ立った。表向きは遊興三昧に明け暮れつつも、大石の画策は続いていた。また江戸へ散った浪士たちは、それぞれ吉良の動きをさぐろうと、飛び廻った。元禄十五年二月中旬、亡君一周忌を済ませた大石は、妻子と別れ、十六歳の長男のみを元服させ主税とし、手元に置く。そして同年十月七日、大石は江戸へ発ち、仇討決行への第一歩を踏み出した。十月二十三日には鎌倉に、十月二十六日には川崎平間村に、そして十一月五日、日本橋石町三丁目、小山屋弥衛方に大石父子は偽名を使って討入当日まで滞在した。同年十二月十四日、赤穂浪士四十七名は、敵吉良邸へ討入る。一同は、上野介を炭小屋で発見、ただちに首を打ち落し、吉良邸を引き上げた。一同は泉岳寺に入り、浅野内匠頭長矩の墓前で礼拝した後、細川、毛利、久松、水野家のそれぞれ大名家へ、お預けの身となった。元禄十六年二月四日、一同それぞれお預け大名邸にて切腹。尚吉良家一統このたびの仕方不届につき、領地召し上げ、お家断絶。この知らせを聞いた一同の顔に感動の涙が伝わり落ちた。そして浪士全員作法通り立派に死んでいった。
大石内蔵助
大石主税
大野九郎兵衛
堀部安兵衛
不破数右衛門
橋本平左衛門
間十次郎
吉田忠左衛門
堀部弥兵衛
片岡源五右衛門
大高源五
原惣右衛門
岡島八十右衛門
岡野金右衛門
間新六
杉野十平次
武林唯七
近松勘六
神崎与五郎
赤埴源蔵
矢頭右衛門七
三村次郎左衛門
萓野三平
早水藤左衛門
大石瀬左衛門
勝田新左衛門
奥田孫太夫
間喜兵衛
大野郡右衛門
奥野将監
岡林杢之助
島喜兵衛
井関徳兵衛
岡野又右衛門
中村弥太之丞
浅野大学
浅野内匠頭
柳沢吉保
吉良上野介
将軍綱吉
上杉綱憲
色部図書
小林平八郎
鳥居理右衛門
清水一学
大須賀治郎右衛門
天野定之丞
小堀源次郎
牧野春斉
密偵(一)
密偵(二)
山吉新八郎
吉良家仲間
三崎道億
矢村一真
徳田政右衛門
山田宗[彳扁]
目付
上田主水
戸田源五兵衛
伊達左京亮
梶川与惣兵衛
関久和
土屋相模守
稲葉丹後守
秋元但馬守
加藤越中守
井上大和守
近藤平八郎
久留十左衛門
大久保権右衛門
荒木十左衛門
久永内記
侍(A)
侍(B)
庄田下総守
安場一平
平吾
土屋家用人
柳沢家用人
田村家用人
田村家々臣
戸山源五兵衛
内田孫右衛門
遊び人(1)
遊び人(2)
四方庵の客
宝井其角
瑶泉院(阿久里)
戸田局
大石りく
大石くう
大石吉千代
橋本はつ
大高しの
大高貞
大高源一郎
浮橋
間喜兵衛老妻
大野佐和
大野郡右衛門妻
線香屋老婆
お仙
吉良家奥女中(1)
吉良家奥女中(2)
浮橋の部屋子(1)
浮橋の部屋子(2)
多門伝八郎
土屋主税
監督
脚本、原作
ナレーター
撮影
撮影
音楽
美術
背景
編集
衣裳
美粧
結髪
照明
録音
装飾
助監督
助監督
助監督
進行主任
進行
企画
企画
企画
企画
宣伝
演技事務
装置
擬斗
スチール
記録