長門裕之
父
十二歳の少女の体験を通して戦争を知らない子供たちに、戦争の悲惨さと恐ろしさを訴える。高木敏子が母が子に語る戦争体験として書いた同名の小説の映画化で脚本は「わが青春のとき」の立原りゅう、監督は「教室二〇五号」の橘祐典、撮影も同作の山本駿がそれぞれ担当。
昭和十九年、敗色のこくなる一方の日本は、生活必需品は配給制になって久しく、学生は学徒兵として出征し、壮年男子も軍需工場に動員され、十四歳以上の女学生も女子挺身隊員として徴用されていった。東京両国の川井ガラス工場も、父の房雄が最後のガラスのうさぎの置物を作っていた。工場は軍の指定工場になる予定であった。小学六年生の敏子の二人の兄も、既に特攻隊員として志願していた。長兄の昭雄は戦地への出発を前に家族に別れを告げに来るが、病弱の母と口論となって、悲しい別れとなってしまう。二日後の次兄、和雄の別れは敏子一人が西宮に行った。やがて空襲が激しくなり、敏子は妹の友子と文子を連れ二宮に疎開するが、幼い妹達は母恋しさに東京に戻ってしまう。一人残った敏子に、母と妹が三月十日の東京大空襲で行方不明という知らせが入った。父と二人で工場の焼跡を掘りだす。が、遺体は見つからず、無残に溶けたガラスのうさぎが出て来るのだった。八月五日、敏子と父が新潟へ向かう列車を二宮駅で待っていると、突如米軍機が襲いかかり、父は敏子の目の前で殺された。ひとり残された敏子は、父の遺体を運び、埋葬の手続きをすますのだった。悲しみにうちひしがれ、夜の海に歩み入る敏子だが、「私が死んだら誰がお父さんのおとむらいをするの……」。暗い波の中から再び立ちあがった。八月十五日、父の死から十日たらずで敗戦となった。次兄の和雄が復員してきた。「大きいお兄いちゃんが帰ってきたら三人でガラス工場をつくろう」と敏子は、亡き父母から託された貯金を兄に渡す。やがて長兄の昭雄も復員してきたが、敗戦の混乱の中、生活はきびしく、“三人でガラス工場を”という願いもかなえられない。しかし、十二歳の少女敏子は、焼け溶けたガラスのうさぎを両親の墓に埋めると、けなげに荒廃した街へ歩きだすのだった。
父
母
敏子
長兄
次兄
井上しげ
篠田
田辺ふみえ
井上のおばちゃん
田辺しずえ
女学校教師
郡山のおばちゃん
役場の史員
大野
隠坊
住職
大崎のおばさん
中島医師
監督
脚本
原作
製作
製作
撮影
音楽
美術
美術
編集
照明
録音
助監督
企画
プロデューサー
プロデューサー
スチル
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