中村光輝
杉山文夫
杉本要吉原作のノン・フィクションをもとに「太陽は見た」の石松愛弘が脚本に当り、監督は「おんな極悪帖」の池広一夫、撮影は「兇状流れドス」の武田千吉郎がそれぞれ担当。
杉山文夫は三人姉弟の末っ子で、新聞社論説委員の父敬吉とやさしい母しのの長男として平和で健康的な環境ですくすく育っていった。明るくスポーツ好きの少年で、将来はプロ野球の選手になるのが彼の唯一の夢だった。ある日姉和子のピアノのレッスン中にいたずらしようとしたとき突然文夫の肩に激痛が襲った。すぐ父と母につれられて病院にいったが、そこでの診断の結果ガンであることが判明した。子供がガンにかかるなどとは信じられない敬吉としのだが、冷酷に響く医者の言葉をくつがえすことはできなかった。平和な杉山家に突然襲いかかった病魔、しかも何も知らない文夫にどうこの事実を告げたらいいのか、父も母も、そして二人の姉悦子、和子も苦しみに迷った。父の奔走で築地の国立ガンセンターの子供室への入院が決まり、文夫はおとなしく父の言葉に従った。しかしタクシーの窓から文夫の目に「国立ガンセンター」の看板文字がうったとき、文夫はしのに向って「ママ、ぼくの病気ガンなの?」と尋ねた。しのはあわてたが、敬吉の「この病院は総合病院でガンだけでなく、いろいろな病気の人が治療に来るんだ」というさりげない説明に一応は納得したものの、文夫の心の中の不安は大きかった。こうして文夫の闘病生活が始まった。しかしけん命に闘う文夫に病魔はあくまで非情だった。時間の流れと平行してガンの転移も激しく、これを防ぐには左腕を切断するしかない程までに文夫の病勢は悪化の一途をたどっていた。担任の橋本先生や級友たちの暖かい励ましが文夫の力にはなったが病勢をくいとめることはできなかった。敬吉は父として、わが子にこの事をどう納得させたらいいのか悩み苦しんだ。麻酔薬で眠っている間に切断してしまうこともできる、と考えたがそれでは子供をだますことになる。敬吉は本当のことを話そうと決心する。事実を聞いた文夫は意外にも簡単に父の説得にうなずくだけだった。文夫はついに病根を断ってできるだけ長く生きるために大切な片腕を失ってしまったが、家族の心配をよそに、いじけたり、卑屈になったりはせず、以前にもまして明るく、朗らかで快活だった。健康をとり戻した文夫はもとのように元気に学校へ通うようになったが、持ち前の負ん気で見事にハンディを克服していった。両親参観の体育の時間も皆と一緒に走ったり飛び箱も失敗を重ねながらついには片腕で開脚飛びをやってのけ先生や参観の父兄を驚ろかせた。幸せが杉山家に舞い戻ってきた。喜びに包まれた家族五人の万博見学旅行、文夫は誰よりも喜びハシャいだ。しかし又しても突然の激痛が文夫を襲った。皆が恐れていた最悪の事態がやって来たのだ。
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