監督、製作
一九六九年二月二日。その日、雪降る砂川の地で反戦塹壕闘争が開始された。二・四沖縄ゼネストに呼応する、本土における沖縄闘争の構築をめざす労働者、学生。市民同志諸君の手によって米軍機の離発着を実力で阻止しようとする、八メートルを越える反戦旗が滑走路の北端ぎりぎりに、約三〇本立てられた。ありとあらゆる米日権力の弾圧をはねのけ、反戦塹壕は「行動隊」「共闘会議」を軸として一九六九年四月十八日の基地拡張中止閣議決定、土地収用行政処分撤回を勝ちとり、一九六九年一二月一日には米軍飛行業務全面中止にまで追い込む闘いを闘い抜いた。だが「立川基地の自衛隊使用方針」が、一九六九年暮れに政府防衛庁から打ち出されて以来、今日まで約一年間、反戦塹壕は、敵権力との対峙を辛うじて維持する形で保ってきたにすぎない。「砂川反戦祭」に代表されるような塹壕主体の堕落解体現象に対する地元の批判として塹壕の地主(砂川町基地拡張反対同盟)から、塹壕を埋めて更地にして返してくれとの申し入れが一九七〇年に発せられた。
ストーリー
※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。