岸田森
真木
農業とエロチシズムを二本の柱として、単純再生産を基本としたユートピア集団の実現を計る人物と、偶然そこにまぎれ込んだ新左翼系の男女学生四人が中心となり、恋人交換、暴行、サディズムなど、さまざまな型の性を描きながら、よりよく、われわれが抱いている日本そのものへのアプローチを試みた作品。脚本、監督は「無常」でコンビを組んだ石堂淑朗と実相寺昭雄。撮影も同作の稲垣涌三がそれぞれ担当。なお、イナガキ・スコープというワイド版が一部使用されている。(一部白黒)
敦賀の海岸沿いに建つ一軒の小さなモーテル。そこには二組の恋人同志、信一と由紀子、裕と康子が、互いに相手を交換し合い抱き合っている。一方、このモーテルの支配人室では、支配人の真木がブラウン管に写しだされている、二組の部屋の情景を凝視していた。数時間後、裕と康子が先に帰るのを見送った信一と由紀子は海岸に降りてゆくが、真木の部下の茂雄と守に襲われた。しばらくして気が付いた信一は、死んだような全裸の由紀子を愛撫し始めるが、二人は朦朧とした意識の中で、かつてない深い陶酔にひたった。それから一か月後、妊娠した康子は、裕に結婚して欲しいと訴えるが、信一と共に先鋭的な全共闘の左翼学生である裕にとって、結婚など無意味なことであった。他方、信一と由紀子は海岸での出来事が、真木に仕組まれたことであり、あの素晴らしい陶酔も実は真木に操られていたのではないかという疑問を解決する為に再びモーテルを訪れ、真木に詰問するが、真木はそんな二人を、とある山門に招じ入れる。そこは、単純再生産の法則が全てを支配するユートピアであり、それゆえに農業とエロチシズムの追求が二本の大きな柱となっている。そして人間は一瞬の恍惚を求めて彷徨うが、その恍惚とは生きながらにして時間の感覚を失う瞬間をいい、この単純再生産こそ人間の全ての営みの中で時間を失った永遠の空間を造りだすものである、と語り、ここには、もろもろの神様相手に売春する白衣に身を固めた能面のような真木夫人と、夫人に仕える若い女君子が居り、あのモーテルはこのユートピアと外の世界を結ぶ通路であるという。信一と由紀子は、真木夫妻に魅せられていった。一方、「統一と団結」派の学生達に追われた康子と裕は、信一たちの姿を求めて海岸にたどり着くが、真木の命を受けた茂雄と守に襲われる。しばらくして気がついた裕は、今は真木の信奉者になった信一と由紀子に対し、このようなユートピアは空想であり、夢、幻のようなものだと問いつめる。この間、別の部屋で傷つき横たわる康子は、茂雄と守にサディスティックに犯され、遂に自殺する。数日後、このユートピアで“聖なる種まきの祭”が行われ、真木夫人は痙攣的な祈祷を捧げ、他の者はエロチックに踊り狂った。これを見た裕は、行方不明の康子は、この集団に殺されたのであり、カリスマがユートピアの支配原理であることの犯罪性を強く信一に問いただすが、信一は狂ったように踊りまくるだけだった。今こそこのユートピア集団の本性を知った裕は、これを破滅させる為に豊満な真木夫人を犯すが、真の快楽を知った夫人は、その故に、神の霊媒であることを失い、渓流に身を投じた。康子と夫人の死は、真木の理想とするユートピアの崩壊であった。真木達は裕の止めるのも聞かず新天地を求めて荒海に向かって船出するが、砂浜に全員死体となって打ちあげられたのは、それから間もなくであり、真木の手にはしっかりと曼陀羅が握られていた。数週間の後、モーテルを売払い、刀剣商に入る裕の姿があった。
真木
裕
信一
由紀子
康子
真木夫人
君子
守
令子
茂雄
ジュン
看護婦
下宿のおかみ
中年男
中年男
刀剣商
監督
脚本
製作
撮影
音楽
美術
編集
照明
録音
助監督
助監督
企画
スチル