大木実
辺見三郎太
樫原一郎の「ニッポン警視庁」を原作に「東京夜話」の八住利雄が脚色、「女房学校」の井上海次が監督した二人の刑事の半生記。撮影は「新・二等兵物語 めでたく凱旋の巻」の石本秀雄。
大正十五年三月、辺見三郎太は警視庁巡査採用試験に合格、鹿児島から上京した。下関で汽車をまちがえ、入所式に遅刻した辺見は採用をとり消されそうになるが、白サヤの短刀をとり出し「こいから上野公園とかへ行きもんで、西郷どんの前で腹切い申す」と、本多教官に食いさがった。が、汽車の中で知り合った象潟署の松山部長刑事の口添えで、やっとのことで許された。“短刀で教官をおどした薩摩ぽう”という評判がいつしかたって、辺見は名物男として知られるようになった。東北の農村出身の二瓶米作と親友になり、励まし合った。二瓶は熱しやすい辺見に比べ、地味で朴訥、しかし粘りづよさでは薩摩隼人の辺見にも負けない激しい情熱を内にもっていた。やがて練習所を卒業後、辺見は象潟署管内の浅草公園巡査派出所へ、二瓶は浅草橋巡査派出所へ配属された。昭和二年、説教強盗、ピストル強盗という二大事件が発生した中で、二人は刑事に昇格。辺見は巡査時代に知り合った滝代の妹信子と見合結婚、二瓶は郷里の許婚と結ばれた。辺見の婚礼の夜、ピストル強盗によって二人の巡査が倒れた。必死の張り込み。辺見は十日目に犯人福田諭吉を捕えた。同じころ説教強盗妻木松吉も捕まった。翌年、辺見は長男竜四郎をもうけたが、刑事という激務の夫をもつ信子の健康は急速に衰えていった。二瓶家にも長男正一についで道代、昭夫と生まれた。やがて満州事変、そして国際連盟脱退。そのころ五人を射殺するという質屋強盗事件が発生、犯人岩下熊吉の山狩りを行う辺見のもとに信子、危篤の報が……。辺見は帰らず、犯人熊吉を捕えた。昭和十六年十二月、辺見は過労で倒れ、ついに死んだ。息子の竜四郎は警官を志望した。昭和二十年八月、太平洋戦争は終った。二瓶は正一を予科練で失い、頭髪に白いものが目立つようになったものの警視庁捜査一課へ移り活躍していた。戦後の混乱。薄給と食糧難の刑事の生活の上に次ぎ次ぎと起る大事件。帝銀事件、下山事件、三鷹事件。警察官になった辺見の遺児竜四郎は警察学校を卒業、警視庁捜査一課に配属、父親ゆずりのファイトと二瓶の協力で千住銀行ギャング事件、国際賭博場“クラブ・マンダリン”手入れなどに活躍した。竜四の同僚に田宮という刑事がおり、その妹節子は、竜四郎が寝泊りする叔母滝代の洋品店に勤めていた。田宮が麻薬ボスの手にかかり殉職した。竜四郎は節子と結婚しようと決心、二瓶も賛成したが、竜四郎を愛しはじめた長女道代の気持を考えると心がくもった。そんなところへ新宿に守衛射殺事件が発生、竜四郎らの科学捜査の結果逃げ場を失った犯人は自首して出た。昭和三十五年、安保反対デモで毎日が明けくれた。そんなとき池袋に労働争議が起り、竜四郎が公務執行妨害で検挙した中に二瓶の次男昭夫がいた。二瓶は息子の立場を認め許した。やがて勤続三十五年の表彰式--警視総監から渡された賞状を手に二瓶は辺見の眠る墓へと急いだ。
辺見三郎太
辺見信子
辺見竜四郎
二瓶米作
道代
昭夫
松山信三部長刑事
本多警部
須川滝代
小鉄
質屋の主人
谷山五百吉
田宮五郎
田宮節子
進東祐介
星野部長
山川技官
金井重吉
議長
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