加東大介
加藤軍曹
文芸春秋所載の加東大介の同名体験記を小野田勇が劇化、「可愛いめんどりが歌った」の笠原良三が脚本化した戦争喜劇。監督は「駅前団地」の久松静児、撮影は「地獄の饗宴」の黒田徳三。
昭和十九年秋、太平洋戦争下の西部ニューギニアの首都マノクワリにある日本軍は補給を絶たれ四万の兵士は飢餓とマラリヤにやられ七千に減っていた。こうした中で兵士の人間性を復活させ生きる望みを与えようと司令部の杉山大尉は小林参謀の賛成を得、演芸班を組織することにした。兵站病院勤務加藤衛生軍曹を班長に叶上等兵、前田一等兵などの経験者、各中隊からの選抜兵で班はできた。第一回の演しものは菊池寛原作の「父帰る」。これが大成功で次ぎは劇場を建設することになった。四月二十九日の天長節、やせ衰えた兵士たちの手で作られた「マノクワリ歌舞伎座」は司令官浅川中将の温情で集められた海岸線配置の部隊も観客に盛大にコケラ落しをした。「浅草の灯」上演中、空襲警報。しかし誰一人、立ち上ろうとしない。月日は流れ、「マノクワリ歌舞伎座」は将兵に夢と希望を与えてきたが戦局は次第に危機的様相を呈してきた。浅川中将は、もう先きも長くはないと判断し東北出身の兵士が多いところから「瞼の母」の中で雪を見せてくれないかと加藤軍曹に注文を出した。そして間もなくニューギニアと目と鼻の先きのビアク島全滅の報が入った。「瞼の母」上演は実現したが、この日限りで演芸分隊は解散することが発表された。--さて司令官の注文による「瞼の母」の雪の場面。照明がつくと舞台は白一色。兵隊たちの中から思わず嘆声が上った。それはパラシュート用の絹を舞台一面に敷いたのだった。そして上からは紙の雪が……。その中で加藤軍曹扮する番場の忠太郎とおはまの親子対面の場がくりひろげられる。兵たちの中から嗚咽が起った。やがて舞台は終った。日本が戦争に敗けたのは、それから間もなくだった。
加藤軍曹
蔦山一等兵
篠崎曹長
前田一等兵
叶上等兵
北川上等兵
塩原上等兵
間島上等兵
青田上等兵
小野上等兵
斉木兵長
中原一等兵
大沼一等兵
立岡上等兵
村田大尉
坂本一等兵
浅川中将
杉山大尉
西沢大尉
二木上等兵
小林少佐
森大尉
小林伍長
坂田伍長
監督
脚本
原作
製作
製作
撮影
音楽
美術
編集
照明
録音
助監督
製作主任
スチール
劇化
記録
出演