佐田啓二
野中義男
歌集「道路工夫の歌」河野道工著より「今年の恋」の木下恵介が脚色・監督したある夫婦の半生を描いた物語。撮影もコンビの楠田浩之。
昭和二十一年、復員した野中義男は、仕事がないままに故郷山梨で道路工夫になったが、生活はみじめだった。給料は一ヵ月二千円。両親、義男、妻とら江、息子利幸は、丘の上の小さな借家に住んだ。翌年、誠実さを認められたとら江は土木出張所の小使に雇われ、義男一家は小使室に住むことを許された。五年後、小学三年生の利幸は成績も一番で、義男はこれからもまともに育ってくれと願う。工夫仲間の望月が脳溢血で倒れた。休みの日、義男は不自由な望月をリヤカーにのせて平塩之岡へ花見に出かけたが、ゆくりなくも初恋の千代と逢った。彼女は義男の出征中、静岡の豪農のもとへ嫁いたが、良人は戦死して今は未亡人である。「片想いじゃ花も咲かない」と、義男は笑いにまぎらして望月にいった。やがて最優秀の成績で中学を卒えた利幸は甲府高等学校へ。幾歳月の苦しみも忘れて、義男ととら江は喜び合った。昭和三十二年、利幸は京都大学に入った。学資の仕送りで義男は好きな酒を半分に減らし、とら江は食べものを節約した。その年も明けて、利幸から意外な手紙がきた。「実は去年、大学の受験に失敗したが、それをいうと叱られると思い、アルバイトしながら勉強した。今年は試験に合格したから安心して下さい」というのだ。三年に進学した利幸は、仕送りに悩む両親に迷惑をかけまいと、アルバイトをつづけるが、学資が足りず、とかく沈みがちだ。好意をよせる石川美代子はそんな利幸を慰めた。そのころ、とら江が京都へやってきた。利幸は遂に学業を諦めてとら江と山梨へ帰った。義男は利幸を殴りながら「親の気持が判らないのか」と泣き、利幸もとら江も泣いた。昭和三十七年、新しく学士として京都大学を巣立つ卒業生の中に、利幸の明るい顔があった。大講堂に列席した義男ととら江のふしくれ立った掌に涙が落ちた。
野中義男
野中とら江
野中利幸
義男の父
義男の母
千代
石川美代子
望月
望月の妻
床屋のおやじ
浮田
所員
所員
所長
寺下
飲み屋のおかみ
新入生の母
町の人
身延線の車掌
由比の宿の女中
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