大楠道代
民子
伊藤左千夫の原作を「香華」の木下恵介が脚色、「妻の日の愛のかたみに」の富本壮吉が監督した文芸もの。撮影もコンビの小原譲治。
老人は、六十年前に過ぎ去った、ほのかに若く、そして甘い青春の想い出にひたっていた。--ゆったりとした川の流れる平和な里で、いとこ同士の政夫と民子は、まるで姉弟のようにして育った。民子が十七歳、そして政夫が十五歳の秋。民子は、村一番の旧家の女主人である、病身の政夫の母の看病に、数里離れた川下の町からやって来ていた。二人は幼いころと同じように、ふざけ合い、楽しく語り合った。ところが、こんな二人の仲を、村の人たちが、噂しはじめ、同じ家にいる作女のお増や、底意地の悪い嫂のさだまでもが、ことあるごとに、二人に悪恵に満ちた嫌味をあびせるようになった。だが、政夫の母は、そんな二人を、いつも温い眼で見守っていてくれた。秋祭が近ずいたある日、政夫は、母の言いつけで、民子とともに山畑に綿摘みにでかけた。そのころには、周囲の噂が、かえって二人の仲を近づけ、二人の心にはほのかな恋心が茅ばえていた。人気のない山の中で、初めて二人きりになれた民子と政夫は、仕事の終った後、時のたつのも忘れて楽しい一時を送った。民子は、政夫を“リンドウ”にたとえ、政夫は民子を“野菊”のようなひとだと言った。家へ帰ると、すでに陽は落ちていた。これが原因で、二人の仲はことさら疑われるようになり、政夫は、予定を繰りあげて、市の中学に送りだされた。やがて、冬休みがやって来た。政夫は心をときめかせて家に帰った。だが、民子はさだの手で強引に里帰りさせられていて、会うことはできなかった。それから一年半の歳月がながれたある日、政夫は母からの電報で家に帰った。気重なふん囲気が、家全体をおおうなかで、母は涙ながらに、民子の死を語った。民子は、政夫の母の説得で、町の資産家に嫁いだものの、心が晴れず、病気になり実家に帰っていたのであった。死ぬまで、一度も政夫の名は口にしなかった民子だったが、死出の彼女の胸には、しっかりと、リンドウと政夫の手紙が抱きしめられていたのだ。--咲きほこる野菊をみる老人の眼には涙が光っていた。
民子
政夫
政夫の母
兄栄造
嫂さだ
老人
民子の租母
民子の父
民子の母かね
民子の姉とみ
お増
船頭
常吉
お浜
お仙
庄さん
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