倍賞千恵子
多加
山崎豊子の原作『暖簾』『花のれん』『ぼんち』をテレビの茂木草介が劇化、「坊っちゃん(1966)」の柳井隆雄が脚色し、「雪国(1965)」の大庭秀雄が監督した文芸もの。撮影は「涙の連絡船」の厚田雄春。
船場の昆布商浪花屋の一人娘多加は美しい娘だった。その上、浪花屋でのきびしい丁稚奉公に耐えている八田吾平を何くれと慰めてくれるほど心の優しい娘でもあった。吾平はたった三十五銭をにぎりしめて淡路島から大阪へ出てきたのだった。そして、船場の四つ橋のたもとで浪花屋の主人利兵衛に拾われたのである。その吾平がたった一人の肉親である母を亡くした時、多加は吾平と共に悲しんでくれた。お蔭で吾平は熱心に仕事に取り組み、異例の若さで番頭になることが出来た。そんな頃、多加は呉服問屋河島屋の跡取り吉三郎と結婚した。しかし、生来の遊び好きの吉三郎のために多加は苦労しなければならなかった。一方、吾平は番頭以上の商才を示し、主人の利兵街を驚かせるのだった。利兵衛は吾平のために、遠縁の娘千代と結婚させて、暖簾を分けて与えた。吾平の店はますます、順調に伸びていった。また、多加は、相変らず放蕩三昧に明け暮れる吉三郎のために、女の細腕一つで老舗の暖簾を守っていた。しかし、多加がいくら働いても、吉三郎はそれ以上に浪費するのであった。こうして河島屋の屋台は次第に傾いていったのだが、それを知りながら多加は吉三郎に心底から惚れ抜いていたので、自分の苦労を苦労と思わなかった。それをいいことに吉三郎は、寄席芸人ガマ口を引き連れて、連日のように乱痴気騒ぎをやっていた。その有様に浪花屋から多加についてきたお梅は、歯がみして口惜しがった。明治も終りに近づいたある日、隣家からの貰い火で浪花屋は全焼してしまった。老いても商才を失なわない利兵衛は、間もなく浪花屋を新築し、再び繁盛させたが、卒中で倒れてしまった。そして、利兵衛は、吾平に浪花屋の暖簾を頼んで七十四年の生涯を閉じたのだった。ちょうどその頃、多加の河島もいよいよいけなくなり、ついに倒産してしまった。吉三郎が最後のアガキで株に手を出したのが命とりになったのだ。けれども、多加は、度重なる不幸にもめげずに、新しく思い立った寄席経営を始めた。それは、常に積極的に生き抜こうとする、船場のごりょんさんとは別の人生を歩き始めた多加の姿であった。
多加
吉三郎
吾平
ガマ口
利兵衛
利一
千代
志野
米助
きん
吉太
太吉
織京
清助
伊藤
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