大いなる愛の彼方に
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大いなる愛の彼方に

1960年3月4日公開、92分
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「わが古城の町」の富田義朗と「二度とないぞ青春は」の芦沢俊郎の共同脚本を、「わが古城の町」の大野徹郎が監督した、非行少女と女教師との物語。撮影も「わが古城の町」の井上晴二が担当。

ストーリー

桂木節子は恵愛女子学院の教師に赴任した。いわゆる非行少女を収容する施設である。乱暴な少女・則子はまた反省室に入れられた。節子は調書で彼女の身上を調べた。ほかのユキや道子たちにも、裸で接しようとしたが、かえって反発された。当直の日、階段に油をぬられ、落ちた。思いあまって節子は男子少年院の太田教官を訪ねた。彼女はかつて不良少女だったが、彼に救われたのだ。励まされた。則子たちがなついているのは、院長の息子で天文学を研究する英次だった。意地悪な副院長の江口女史は、彼が少女たちと一緒にいることに反対した。そのほか、少女たちに不信の態度で接した。彼女らは反抗心を燃やし、アルコールを盗みだして飲み、江口をつるし上げた。職員会議で、江口と節子は対立した。むろん、後者が寛容な処置と交代で外出させることを主張した。節子が引率し外出した時、則子たちは姿を消し、ホールのケンカで補導されて帰ってきた。江口はいったとおりといった顔をしたが、院長は一応の成功だという。隆子がマス・ゲームの時たおれた。クルプ性肺炎。中島医師は今まで放っていたことをなじった。みどりと則子が看病し直ったらピクニックに行こうと励ました。みどりは少年院を脱走してきた健に一緒に逃げようと誘われたが断った。ピクニックをダメにしないために。が、隆子は死んだ。視察官たちがきた時、少女たちはこのことへの怒りを爆発させた。節子も側面から校長にピクニックを中止せぬよう説いた。騒ぐ少女らに、節子は自分の前身を告げて、たしなめた。ピクニックは許されたが、牧場からの帰途、則子の姿がなかった。江口は脱走だという。ほかの少女らも皆いなくなった。夜明け近く、少女らは傷ついた則子をかついで帰ってきた。彼女は乳しぼりの少女を愚連隊から救ったのだ。則子は節子にいった。英次さんと結婚して、私たちの手本になってよ。江口も前非を悔いたという。

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作品データ

製作年
1960年
製作国
日本
初公開日
1960年3月4日
上映時間
92分
製作会社
松竹大船


[c]キネマ旬報社