解説
明治大学アラスカ学術調査団とこれに同行した東映撮影班の記録で、マッキンレー登頂とアラスカの風物が収められてある。
ストーリー
一九六〇年三月、明治大学アラスカ学術調査団は日本を出発した。アラスカでは南の太平洋岸が開けている。空の交通の中心地アンカレッジと首府ジュノーがある。アンカレッジの南六〇キロの所にあるポーテージは氷河で有名な観光地だ。ジュノーの近辺にはインデアンが多数住んでいて、民族資料も多く保存されている。インデアンの踊りは、お祭の時やポーラッチと呼ばれる宴の時に行われる。イヌイットの調査を進めるため、内陸イヌイットの村アナイトブックパスを訪れた。アラスカ学術調査団にとって最も大きな冒険を必要とする仕事は、マッキンレーの登頂である。一九六〇年四月九日、基地タルキートナから小型機で人員と荷物をカヒルトナ氷河上のベースキャンプに運んだ。三一二〇米の第一キャンプ、三九〇〇米の第二キャンプから第三キャンプを経て、最大の難関ウエストバットレス氷壁にかかった。努力を続け氷壁にかかると、息つくまもなく第四キャンプの設置にかかった。標高五一五〇米。ポーターもシェルパもいないので、荷物はすべて隊員自ら運ばねばならない。五月十二日、デナリパスの第五キャンプに入る。十四日、最後のアタック。風は強かったが遂に登頂が成功した。厳寒期における世界最初のマッキンレー征服は日本人の手で成しとげられた。
コラム・インタビュー・イベント
ニュース
作品データ
[c]キネマ旬報社