伊達騒動 母御殿:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
伊達騒動 母御殿
伊達騒動 母御殿
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伊達騒動 母御殿

1954年10月13日公開、91分、時代劇
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「関の弥太ッぺ(1953)」の阿蘇太郎に池田菁穂が共同で脚本を書き、「関八州勢揃い」の安田公義が監督する。撮影は「鉄火奉行」の竹村康和、音楽は「土曜日の天使」の服部良一の担当。出演者は「母時鳥」の三益愛子、「鉄火奉行」の坂東好太郎、「投げ唄左門二番手柄 釣天井の佝僂男」の伏見和子、若杉曜子、「花の白虎隊」の阿井美千子、入江たか子などである。

ストーリー

奥州の大藩伊達家の当主鶴千代が未だ幼いのに乗じた一門の伊達市正は、鶴千代を追って自ら伊達家の当主たらんとする野望を抱いて居り、また江戸家老原田甲斐は彼等を操って事実上の実権を掌中に握る魂胆を蔵していた。そのため鶴千代の身辺は危うかったが、家老伊達安芸や忠臣松前鉄之助、腰元萩野らの働きによって事を未然に防いでいた。だが事態は更に切迫し、鶴千代の身辺を守るために、国許に退いていた政岡を呼び寄せることになった。夫の死後、一子千松の成長を楽しみに、寺小屋を開いて、平和に暮していた政岡だが、忠誠の心から江戸へ行くことになった。その道中、原田甲斐は政岡に闇討をかけたが、同行の鉄之助の奮戦と安芸の騎馬隊の救援で目的は果されなかった。政岡の到着に、鶴千代はうれし涙にむせんだ。しかし甲斐は鶴千代の毒殺を企み、膳番汐沢丹三郎に毒を盛った膳を運ばせた。政岡に見破られ、丹三郎は自ら毒の汁を飲んで死んで行った。そのために、丹三郎の姉である萩野をも、心ならずも政岡は追放しなければならなくなった。斯うして鶴千代の命を狙う者は跳梁し、その度毎に政岡は懸命にそれを守っていた。その頃、政岡の国許の百姓たちが新米を持って上京した際、千松も母を慕って一緒にやって来た。折柄、甲斐は最後の手段として、将軍家よりの使いと偽って、老女栄御前を上使に仕立て、将軍より賜ったと称する菓子を持ってきた。政岡が途方に暮れているとき、千松が敢えてそれを食べ、案の定直ぐに苦しみ出した。斯くて千松は鶴千代の身代りとなって死んだのである。悪事露顕となった甲斐一味は滅び、政岡は忠誠を果して、亡き子千松の面影を抱いて、再び国許へと戻って行くのだった。

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作品データ

製作年
1954年
製作国
日本
初公開日
1954年10月13日
上映時間
91分
製作会社
大映京都
ジャンル
時代劇


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