ギャングの子
ギャングの子
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ギャングの子

1936年公開
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「さらば海軍兵学校」のサー・ガイ・スタンディングおよびトム・ブラウンと「結婚十分前」のフランセス・ドレイクとが主要な役を勤める映画で、H・H・ヴァン・ローンとウィラード・マック合作の舞台劇をジョージ・オニールが脚色し、「仇敵」「超スピード時代」のエドウィン・L・マリンが監督。「偽者紳士」のアイラ・モーガンが撮影したもの。助演者は「薔薇はなぜ紅い」のジャネット・ビーチャー「情無用ッ」のロバート・グレックラー、ヘレン・ロウェル等である。

ストーリー

州知事ジョン・バンクロフトは州政治粛正のために完全と起った。そしてギャングの頭目バック・ゴードンと鋭い対立を続け、ついにゴードンは検挙から手を引かなければそのままでは置かぬと脅迫したが、バンクロフトはいかなる脅迫も自分の方針をやめることはできぬと宣言した。知事に仕えている若い飛行士ニッキー・エルキンスはゴードンの経営しているナイト・クラブの踊り子メリーと恋に落ちていた。ある時ニッキーはゴードンが競馬騎手がイカサマに従わなかったというのでひどく打っているのを見た。するとその後でゴードンはニッキーを呼んで、意外なことを打ち明けた。彼の話によるとニッキーはゴードンとバンクロフト夫人の間に生まれた子で2歳の時に感化院に入れられたというのである。ゴードンはこの話を持ち出してバンクロフト夫人の醜聞を世に広め、それで知事を失脚させようとしているのだった。ニッキーはその事実を明かされてはと、恩ある知事夫妻のために激怒してゴードンと争いを始めついに彼を射殺した。ニッキーは裁判に付せられても一口も殺人の理由を述べず、何人の弁護も要求しなかったので、ついに死刑の宣告を下された。バンクロフトは知事の立場からこの裁判に立ち入ることを拒絶し、ニッキーの運命はもはや決定したも同然であった。死刑執行の前日、彼は恋人メリーにバンクロフト夫人あての手紙を託し、自分が死んだら夫人に渡してくれるように頼んだ。次の日に刑が執行される直前、知事から秘密の電話があって刑の執行延期が命令され、直ちにニッキーは訊問のため知事官邸に呼び出された。メリーが手紙を早く知事に渡したので、一切の事情が判明したのである。かくして母と子は初めて相擁し、知事は凶悪なギャングを除いた人として必ずニッキーを救うことを宣言した。

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作品データ

原題
I'd Give My Life
製作年
1936年
製作国
アメリカ
初公開日
1936年
製作会社
パラマウント映画


[c]キネマ旬報社