志村喬
青成瓢太郎
尾崎士郎の同名小説を三たび映画化したもので、今回は青成瓢吉の少年時代から、上京して早大に学んだ青春時代までを描く。脚色は椎名竜治、監督は「ロマンス祭」の杉江敏男、撮影は「大学の人気者」の完倉泰一。「大学の人気者」の池部良、「女侠一代」の森繁久彌、「恐喝(1958)」の淡路恵子、「大人には分らない・青春白書」の草笛光子、「無法松の一生(1958)」の三船敏郎などが出演。パースペクタ立体音響。
明治末期。三州吉良港、横須賀村。かつては旦那衆と呼ばれた辰巳家の青成瓢太郎は一人息子の瓢吉のしつけにきびしかった。瓢吉をむりやり大銀杏に登らせたり、ケンカに負けて帰ると怒鳴りつけたりした。瓢吉は岡崎の中学に入った。彼の担任の戸田教師こと黒馬先生に瓢太郎は呼びだされた。息子が同級の夏村と発行した新聞の内容が校長の熊襲閣下の怒りにふれたのだ。瓢太郎は息子をはげます。「どんな悪たれをやってもいい。ひとりですうっと立てる人間になれ」瓢吉が中学を卒えて帰ってみると、父は老いていた。屋敷も見るかげもない。仁吉の血をひく挟気の男・吉良常だけが父に仕えていた。吉良常は子分ののみこみの半助の注進で杉源を殺してしまい、巡査にひかれて行った。瓢吉は早稲田大学政治科に入った。父の希望どおり、気骨ある青年になった。彼は校内に学園に関係ない大隈侯夫人の銅像が建つと聞き、憤激した。教壇に駈けあがり、銅像設立反対の檄を飛ばしたのだ。拍手。喚声。瓢吉は新海、吹岡、横井、高見らと校歌を高唱しながら、神楽坂へくりだした。やはり早稲田に学ぶ夏村も同行した。瓢吉はおりんに会うため、途中で烏森の三流待合へ向った。彼女は幼いとき、辰巳屋へ母親に連れられて貰い風呂に来ていた。今は新橋で光竜と名乗る芸者になっている。おりんはとうとう姿を現さず、その夜、瓢吉は初めて女を知った。相手は小奴という不見転芸者である。銅像問題をきっかけに、学内は西野学長派と前学長派に別れて対立した。瓢吉らは江戸川べりの料亭柳水亭に遊んだ。そこの女お袖に、新海が惚れていた。「こんど、一人で来て……」彼女はそっと瓢吉にささやいた。故郷では、瓢太郎が借金に苦しんでいた。監獄から帰った吉良常に遺言を託すと、ピストル自殺した。夏村がこの知らせを、お袖と暮す瓢吉の駒形の下宿へ伝えた。瓢吉が横須賀村へ着いたとき、駅は黒山の人であった。おりんがこの地選出の代議士に落籍されて、式を挙げるため帰ってくるのを待つ人たちである。父の枕元には、母おみねと吉良常だけがいた。「辰巳屋の家名をあげんことを思うまじきこと。どこへ出ても恥かしからぬ男になれ。……」これが父の遺言である。瓢吉は母を実家にあずけ家屋敷を債権者たちに残すと、吉良常を連れて東京へ戻り、彼を半助に託した。瓢吉は夏村と共に房州の寺へこもった。吉良常は半助と入った料亭で、中学教師をやめて東京へ来ていた黒馬先生と会い玉の井へ連れ立つ。瓢吉と別れたお袖がここで春を売っていた。彼女が仲間のおとよと、その情夫飛車角との逢いびきの仲だちをしていると、足抜きだと思った地廻り達が襲ってきた。飛車角はそいつらをかたっぱしから殴り倒す。吉良常は久し振りに胸のすく思いで眺めた。--房州では、瓢吉は文壇に、夏村は政界に、それぞれ大志を燃やしていた。「ああ青春、幾時ぞや!われらの空しき青春よ、さらば」二人は岩頭に立ち、広く果しない海へ向って叫んだのである。
青成瓢太郎
瓢太郎の妻おみね
瓢太郎の息子瓢吉
瓢吉(少年時代)
吉良常
呑み込みの半助
おりん
おりん(少女時代)
おりんの母
甚
甚の息子三平
三平(少年時代)
杉源
杉源の乾分
巡査
校長(熊襲)
戸田先生(黒馬)
夏村の父
夏村大蔵
夏村大蔵(少年時代)
吹岡早雄
新海一八
横井安太
高見剛平
教授
丘部小次郎
烏森待合の女中
芸者小奴
お袖
女中おぎん
地廻り
おとよ
飛車角
監督
原作
製作
撮影
音楽
美術
編集
衣裳
照明
録音
助監督
製作担当者
スチール
構成
脚色
記録
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