大川橋蔵
松平頼方
朝日新聞連載中の川口松太郎の同名小説を、川口松太郎自身が脚色、「丹下左膳 怒濤篇」の松田定次が監督した娯楽時代劇。撮影は「忠臣蔵(1959)」の川崎新太郎。
物ごころついた頃から武州大台ケ原の真崎道場にあって、梅井多門と真崎庄三郎にいつくしまれて育った新吾は、近所の娘お縫に云いよる黒田藩の武士五人を斬り、黒田藩に出頭を命じられた。そこで新吾は多門から自分の出生の秘密を聞かされた。彼は紀州五十五万石の三男頼方公の子だったのだ。--十数年前、頼方は試し斬りで町人越前屋半六を刀にかけた。半六の娘お長と、彼女と末を誓った番頭庄三郎は、頼方の仇と狙ったが、かえってお長は頼方公と結ばれ、美女丸という子を生んだ。失意の庄三郎は多門にひろわれ、復讐のため剣の教えをうけ武士となった。頼方は間もなく紀州本家を相続して吉宗となり、お長はお鯉の方となった。庄三郎はお長いとしさのあまり美女丸を盗み出した。それが今の新吾なのだ。彼が将軍家の子と知った黒田藩の態度は一変した。やがて庄三郎の命で大奥奉公にあがったお縫を通じて、吉宗が父子対面をしたがっているのが知らされ、お墨つきと葵新吾という名が彼に与えられた。しかし新吾と庄三郎は黒田藩を出て安藤対馬守のもとに身をよせ、新吾はそこで綾姫、雪姫、勝姫という美しい三人娘を知った。対面のせまった新吾を、幕府の裏面で策謀をたくらむ老中河内守の一味が襲った。そして一味は対馬守を島流しにし、その邸を焼討ちにした。怒った新吾は単身河内守の駕籠を襲ってこれを斬ってすてた。老中を斬ったからには、いかに将軍の子とはいえ新吾と吉宗の対面は延期された。だが、新吾の行く手には大きな自由がある。彼は父からのお墨つきをひらいてみた。そこには「葵新吾、この者諸国通行勝手たるべし、吉宗花押」とあった。お縫の顔がそれを見てほころんだ。庄三郎のはげましと、多門のいましめの言葉をうけて、新吾は新しい運命に向って出発する。
松平頼方
真崎庄三郎
お鯉の方
お縫
梅井多門
武田一真
安藤対馬守
綾姫
雪姫
勝姫
井上河内守
井出市右衛門
黒田綱政
黒田美作
黒田史郎
泉川三五郎
宮田栄介
俊太
平太
嘉平
宮野辺貢
田部源蔵
真崎備前守
越前屋半六
本多上総介
滝の尾
徳川吉宗
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