山田五十鈴
平井うめ
ルバング島に今なお生き残ると伝えられる元日本兵救出問題にヒントを得て書かれた「千代田城炎上」の依田義賢のオリジナルもの。「水戸黄門漫遊記 御用御用物語」の福田晴一が監督し、「妻の勲章」の太田喜晴が撮影した。
昭和二十八年夏--元陸軍少尉平井健一、元陸軍一等兵谷本信夫の七回忌法要が、ひっそりと行われていた。そこへ、一人の青年、青木順吉が訪れ、健一と信夫が、生存していることを伝えた。--青木の語る模様はこうであった。終戦の日、ジャワの中部地区の小さな集落に駐屯していた平井少尉は、降伏をいさぎよしとせず、部下二十七名とともに、山にこもることとなった。インドネシアが独立したことも、ジャワ在住の日本軍や居留民がすべて引揚げたことも、イギリス軍にかわってオランダ軍が進駐したことも、はげしいインドネシア独立戦争がつづけられたことも、すべてを知らずに、日夜、原住民とイギリス軍だとばかり思っていたオランダ軍の襲撃におびえながら、ただ食うための闘いがつづけられた。六年間。しかも、それは死にもまさる苦しみだった。健一の母、うめは出征の日のことを思っていた。「必ず生きて帰って来るよ」という息子に、「生き恥だけはさらすな」とはげしく言った自分の姿を。うめの心にはほんぜんとして母性愛が目ざめて来た。朝もやをついて、信夫の母たねと妹の幸子をたずねたうめの顔には、かつての、地主の権威と、軍国の母にこわばったつめたさはなかった。はっきりと、自己の非をさとったうめは、生き残っている九人の人々を救うため、息子を説得するためにジャワに向った。インドネシア政府の厚意によって、青木とともに山に向ったうめの顔には、死をとしても九人を救い出そうという決意かみなぎっていた。しかし、涙とともに訴えるうめの声にも何の反応もなかった。--死んでしまったのだろうか。これ以上の前進は危険だと言う警察隊の制止にもかかわらずうめは進んだ。マイクを片手に。その時、山の上に一人の男が立った。二人、そして三人。……一瞬の沈黙の後わきあがった喜びのどよめきの中で、銃は高々とほうりあげられた。ついに、母のさけびはとどいたのだ。
平井うめ
平井健一
青木順吉
平井佐兵衛
谷本信夫
谷本たね
谷本幸子
松吉
老婆
大使館員
福井中隊長
下士官
下士官
下士官
兵士
兵士
兵士
兵士
兵士
兵士
兵士
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