水島道太郎
島村
戦い敗れて数ヶ月、上海から復員兵士引揚同胞が帰って来た。博多からの東京特急四列車が仕立てられ引揚者はその列車で各々故郷への道を急ぐ。その列車に報道班員島村、飯田、杉、中本、松川老人の一団と、弓子、直子、利枝、国雄の組が隣り合わせに乗った。語ることは戦争指導者である軍閥、追随する官僚、財閥への非難に集中されるが、またその一同車中より見る故国の山河に慰められ更生を誓い合いもした。島村、飯田らは、松川老人、国雄の紹介で弓子、直子と近づきになり、中本、利枝は同郷の因縁で結ばれて行く。列車は山陽線を疾走、数刻後には姫路神戸を経て大阪へ到着した。弓子と国雄は直子の家を探すため大阪で途中下車したが、直子の家は焼けて両親は丹波に疎開していることを知った。止むなく京都へ一泊することになり計らずも京都見物に途中下車していた島村、飯田と再会した。直子と別れた弓子と国雄は、島村に頼って共に松川老人の家を訪れたりする中に知らず知らずの中に親しくなって行った。京都を出発して東京へ向かう車中で国雄が発熱した。弓子は預かり子である国雄に万一のことがあってはと案じ、家出をして上海でダンサーになって以来、交渉を経っていた浜松の母親、弟の家に立ち寄ることとなった。しかし前歴をかくすため島村を夫として母親、弟に紹介した。浜松の弓子の家に滞在する間に島村は土に親しみ、耕し拓いてゆくみちのみが、日本を更生させる要点であることを痛感した。また偽って夫になったが、共に暮らす中に弓子に愛着を感じるようになった。東京へ出てから弓子は国雄を伯父の家へ送り届けたが、弓子になついている国雄はどうしても弓子から離れなかった。その情景に接して島村は決心した。弓子と結婚して国雄をひきとろう。そして新聞記者生活を放棄して百姓になろうと。数ヶ月後、弓子の母親のいる浜松在の農村では未開拓地へ鍬を入れた。飯田も中本も、杉原も、直子も利枝も協力を誓って参集してきた。そして力強い引揚、復員者による集団帰農が推進され始めた。
島村
飯田
杉原
中本
松川
後藤
弓子
直子
利枝
国雄
弓子の母親
国雄の伯父
国雄の伯母
編集局長
杉原の女房
彦三
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