監督
広島と長崎の原爆被害者の十年後の生活を明るく世界に訴える日英両語版の中篇記録映画、中学高校一般向。原水爆禁止日本協議会との提携製作。
ストーリー
「こんな不幸な目にあいながら、なお強く生きぬこうとする人たちがいる。日々のつまづきの中で気をくさらせたり、安価な絶望に浸ったりすることの愚かさを思われたい」と語る亀井監督の態度はやはり第一級である。また被爆者たちをカメラのまえに立たせるための説得には一番苦労したが、この映画に出たことがキッカケとなって人前に出るのが平気になった、かえってありがたかったとの手紙が多くきているという。これは監督の人間力と同時に、この映画の絶大な功績といえる。 映画は広島で平和と名のつく大橋、記念館、大通りなどから原爆の廃きょとなり、さらに当時の日赤病院内収容被爆者たちの、没収をまぬがれた貴重な実写が展開される。正視にたえぬ悲惨さにはハラからの憤りを感じる。 あれから十年!皮肉にも今は米国風のコニーアイランドやキャバレーなどが盛るが、街ゆく人々の中にはケロイドの娘さんがいる。つづいて白血病患者の現状報告があり、撮影期間中でもその患者の死にぶつかったほどだ。街頭では被害者への国家保証の請願運動がなされ、かつての久保山さんの、死の灰事件なども再登場する。 あるケロイドの娘さんは出勤のつど母親が手のキズあとを、ほうたいでかくしてやるが別の原爆嬢は敢然とバスにのる。世界各地から広島にあつまった昨年の原水爆禁止世界大会では一人が「私たちが死んだら、原爆の恐ろしさをだれが世界中に知らせることができるでしょうか」と力強くさけぶ。(この宣言を同大会で直接きいてつぶやいた別の原爆嬢の言葉「生きていてよかった!」が映画の題名となる)そして職場にかえった彼女たちは初めて、そこにも同志のいることを発見したという。 盲目の孤児を収容する広島明成園で保母をつとめる原爆乙女(掲載の写真)は「私たちのようなものでも、不幸な子供たちのために役にたてる」と喜ぶ。また長崎には当時の骨折から十年間ね床で機械編物をつづけて働く娘さんもあり、映画のスタッフは彼女を十年ぶりの市街見物に車でさそう。その彼女の目を通して新しい長崎と、当時の思出の長崎とが対比的に示されていくが、港の眺望地では監督自身が彼女を抱いてながめさせいる(これは予定になかったのにカメラマンが思わずクランクして監督に怒られたというが、原爆に体当り?するスタッフの熱意のほどがうかがえよう)最後は浦上の爆心地を公園化するために働くニコヨンの母は信徒なのだが、被災でねじれた娘の手をロウ細工にとって原爆記念館にかざり、世界の人々のためには「忍従だけが神の御心ではない」とさとる。 全篇は第一部「死ぬことは苦しい」第二部「生きることも苦しい」第三部「でも生きていてよかった」の字幕で三部に分れる。