スー・ミン
道光皇帝
香港返還を機会に、近代中国の命運を決した阿片戦争の様相を描いた大作ドラマ。監督は「犬と女と刑老人」などのシエ・チンがあたった。企画はリー・シン、リー・シエンに、「客途愁恨」などの監督でもあるアン・ホイが参加、イギリス部分の撮影にも協力した。脚本は作家でもあるチュー・スーチン、「紅夢」のニー・チェン、ツォン・フーシエン、マイ・ティエンシューの共同。撮影は「青い凧」ほか田壮壮監督とのコンビで知られるホウ・ヨン。音楽は「最後の貴族」以来監督とコンビを組むチン・フーツァイ、ホアン・ハンチー。美術は「人生は琴の弦のように」のシャオ・ロイカン。録音はライ・チーシェンとワン・シュエイー。出演は中国演劇界のヴェテラン、ホー・クオアン、「恋人たちの食卓」のラン・ション、RSCのボブ・ペックほか。
清代、道光年間(1820~1850)。イギリスの圧力により国内のアヘンが蔓延、人も世も乱れた。1839年、道光帝(スー・ミン)はアヘン取締りのため、欽差大臣・林則徐(ホー・クオアン)をアヘン密輸の拠点・広東に赴任させた。広東ではイギリス商人デント(ボブ・ペック)と何敬容(ラン・ション)が結託し、税関役人を買収してアヘン密輸を黙認させ、巨利を貧っていた。林則徐は赴任早々、アヘンの売人を処刑し、何敬容を投獄、アヘンに染まる役人を処分するなど徹底した取締りをはじめ、イギリスはじめ外国商人にアヘンの引き渡しを要求した。そこへ駐清商務監督チャールズ・エリオット(ウィリアムズ・サイモン)が広東に到着。彼はイギリス人らにアヘンの引き渡しを命令したが、これは清朝に開戦を迫るための計略のひとつだった。アヘン2万箱以上が清朝に引き渡され、道光帝の命により、それらは海中に廃棄された。エリオットはパーマストン外相(ベンジャミン・ホワイトロー)あての手紙をデントに託し帰国させた。パーマストンの提議による、清国出兵がイギリス議会で可決された。1839年6月。虎門海上、珠江を封鎖した遠征軍司令官ジョージ・エリオット(デニス・ヒル)以下の遠征軍は広東北部の舟山列島攻撃を開始、定海が陥落。道光帝は激怒し、敵艦隊が到着するや、責任者として林則徐を罷免した。林則徐は地位を追われ、後任のチー・シャン(リン・リエンクン)が派遣されたが、結局イギリスの圧力に屈し、「川鼻条約」でアヘンの賠償と香港割譲を要求された。チーシャンはイギリス軍慰撫を命じたが、芸妓・蓉兒は拒否し、処刑された。勝ち目はなかったが、イギリス軍との戦争は必至だった。虎門砲台。軍門提督・関天培以下、清国兵士は奮闘するが及ばず壊滅した。チー・シャンも罷免され、林則徐は辺境へ追放された。1842年。「南京条約」調印、香港島は割譲され、その後、香港は1997年までイギリスの植民地下に入ったのだった。
道光皇帝
林則徐欽差大臣
Qi Shan
何敬容
蓉兒
関天培
Dent
Charles Elliot
George Elliot
監督
脚本
脚本
脚本
脚本
製作
製作
製作
撮影
音楽
音楽
美術
録音
録音
企画
企画
企画
字幕
字幕監修
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