トーキー黎明期の1929年に作られた「ホリウッド・レビュー」や「ブロードウェイ・メロディー」に始まって、1958年の「恋の手ほどき(1958)」に至るまで、その間に作られた75本のMGMミュージカル作品を中心に構成した作品。製作・監督・構成はジャック・ヘイリー・ジュニア、製作総指揮はダニエル・メルニック、音楽監督はヘンリー・マンシーニ、音楽監修はジェシー・ケイ、編集はバド・フリージェン、スペシャル・キャストはフレッド・アステア、ビング・クロスビー、ジーン・ケリー、ピーター・ローフォード、ライザ・ミネリ、ドナルド・オコンナー、デビー・レイノルズ、ミッキー・ルーニー、フランク・シナトラ、ジェームズ・スチュアート、エリザベス・テイラーなど。
ストーリー
ハリウッドのMGMスタジオをバックに、フランク・シナトラが語りかける。1929年「ホリウッド・レビュー」が作られ、後年ジーン・ケリーによって大ヒットとなった「雨に唄えば」が、すでに、ここで歌われていた。そして、それが1932年の「キートンの歌劇王」の中でジミー・デュランテに唄われ、更に1940年の「リトル・ネリー・ケリー」でジュディ・ガーランドに引きつがれ、1952年の「雨に唄えば」の大ヒットにつながっていくのである。こうしてひとつの唄が時代と共に変化していく過程を見せ、シーンを構成していく。超豪華なセットで数千人のエキストラで埋めつくした大作「巨星ジーグフェルド」の圧巻シーン。そしてフレッド・アステアとエレノア・パウエルがコンビを組んで絶妙なタップを見せる「踊るニューヨーク」の一場面。シナトラにバトンタッチされて登場するのはエリザベス・テイラー。自らの若い頃の時代をふりかえりながら、ミュージカルの楽しさを語る。クラーク・ゲーブル。ゲーブルこそハリウッドが生んだ歴史的な大スターだろう。その彼のブロマイドを見ながらうっとりして唄うのは、今は亡き幼い頃のジュディ・ガーランドだ。ガーランドといえば彼女との共演が一番多かったミッキー・ルーニーが思い出される。二人のコンビ作「初恋合戦」「青春一座」「ブロードウェイ」などが次々にバラエティ風に写し出される。アメリカのミュージカルの中で忘れてならない最高のエンタティナーといえばフレッド・アステアだろう。「ダンシング・レディ」ではジョーン・クロフォードと、「バンド・ワゴン」ではシド・チャリースと、そして「恋愛準決勝」で踊りまくる抜群のテクニックにはしばしば時の経過を忘れる。デビー・レイノルズもこの頃デビューした。同じ頃全く別の意味で一世を風靡した特異なスターが誕生した。水着ショーを売りものにしたエスター・ウイリアムズがそれだ。アステアとならんで、もうひとりのエンタティナーといえばジーン・ケリーだろう。「雨に唄えば」の傘をさしながら踊るシーン、フランク・シナトラ、ジュールス・マンシンと組んだ「踊る大紐育」、マンガの主人公トム&ジェリーと踊る楽しい「錨を上げて」などなど。次にライザ・ミネリが登場し、母ジュディ・ガーランドのことを語る。ガーランドはアステアやケリーとならんでハリウッドに一大ミュージカル時代を築きあげた大女優だ。そのヒット作「オズの魔法使」にはじまり「ハーベー・ガールズ」「美人劇場」「サマー・ストック」など、彼女の見事な歌と踊りを次々に披露する。そして、今や世界のポピュラー界の大御所ビング・クロスビーが登場する。彼の初期のヒット作「虹の都へ」から、モナコの王妃となったグレース・ケリーとのラブ・シーンを見せる「上流社会」が写し出される。
キャスト
ビング・クロスビー
ジーン・ケリー
ピーター・ローフォード
ライザ・ミネリ
ドナルド・オコナー
デビー・レイノルズ
ミッキー・ルーニー
フランク・シナトラ
ジェームズ・スチュアート
エリザベス・テイラー
コラム・インタビュー・イベント
ニュース
作品データ
- 原題
- That's Entertainment
- 映倫区分
- G
- 製作年
- 1974年
- 製作国
- アメリカ
- 配給
- 松竹=富士映画
- 初公開日
- 1975年3月21日
- 上映時間
- 135分
- 製作会社
- MGM映画
- ジャンル
- ミュージカル
[c]キネマ旬報社