撮影
1913年の春カナダ政府によって学術研究のため北極へ派遣さられたステファンソン氏の一行は同年8月その乗船カールク号が氷のために進退を阻まれて数1000マイル押し流され、北極圏内にあるヘラルド島付近にて難破し、その一行中8名が氷を越えてヘラルド島へ向った、という通報を最後としてその後の消息を絶っていた。それから10年の後、1923年、有名な探検家エッチ・エイ・スノウ、シドニー・スノウの2兄弟が新に北極探検隊を組織して北極を志して立った。その目的はステファンソン一行の跡を尋ねることとその探検の記録を映画に止めることとにあった。この映画は前記スノウ兄弟による探検に基いた当時の記録映画である。
ストーリー
シドニー及びエッチ・エイ・スノウの2兄弟及び船長レイン氏指揮の下に砕氷船ヘルマン号はサンフランシスコを出発し、先ずアラスカ、ジュノウを経、北上してノームまで内航路を取り北極圏内に進む計画であった。船が北へ進むにつれ色々の目新しい鳥獣の棲息が目に入った。海豚の大群、数百万羽の海鳥、ムレ鳥の島、海の鸚鵡と言われるパッフィン鳥、鴎、鵡、等がそれであった。ジュノウを経、大氷河を見、また太洋に出るとここで彼らは大暴風に遇い、海豹島に避難し、天候快復を待つ間に海豹や馴鹿の棲息状態をカメラに収めた。それから捕鯨区域に入って捕鯨を行った後、ノームでいよいよ文明世界と別れを告げ、キング島に於いてエスキモ人を雇い入れ、北極圏に入る手筈を定めた。かくて船は帆を捨て発動機により氷を砕いて北へ北へと向った。一行はセイウチ狩りを行い、数頭の巨獣を射留め得意となったが、それも束の間で、大吹雪に遇い、危機にひんしたがなお勇を鼓して進み、北極熊を発見して、それを生獲した。それからヘラルド島を探ね出して、ステファンソン一行遭難の現場に至り、犠牲者の霊を祀り、記念碑を建てた。これが実に1924年9月27日のことであった。
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[c]キネマ旬報社