監督
目と鼻の先に原発建設計画が持ち上がった瀬戸内海の小島を舞台に、自然と共存する人々の生活と、原発反対運動の様子を追ったドキュメンタリー。自然と原発の対比から、人の生き方を考える。島に滞在して長期取材を行った纐纈あやの監督デビュー作。「ナミイと唄えば」で知られるドキュメンタリー作家、本橋成一がプロデュース。
ストーリー
1000年前、沖で難破した船を助けたことから農耕がもたらされ、現在に至るまで命をつないできた小さな島がある。瀬戸内海有数の漁場、周防灘と伊予灘の間に位置する山口県上関町祝島。関西と九州の国東半島を結ぶ最短航路上にあり、奈良時代から海上交通の要衝となる寄港地だった。古代よりこの島には、航海安全を祈願し、豊かな海への感謝を捧げる神官の祝(ほおり)がいたとされ、神霊の島とも呼ばれた。瀬戸内海を行き交う船が危険に遭遇した時は、この島に向かって一心に祈ると、島は霊光を発して行く先を照らしたという。だが、台風が直撃することも多く、かつて“岩井島”と呼ばれた岩だらけの土地には、確保できる真水も限られ、決して生活しやすい環境とは言えない。それでも周辺の豊かな海での漁業を産業の基盤とし、昭和30年代には人口3000人を超えるまでに発展を遂げた。しかし現在は人口が500人程度まで減少。加えてその70%が65歳以上という深刻な高齢化と過疎化の問題を抱えている。その中で人々は、海がもたらす豊穣な恵みに支えられ、岩山を開墾、暮らしを営んできた。そして互いに助け合い、分かちあう共同体としての結びつきが育まれた。人間の営みが自然の一部であることが、祝島でははっきりと見える。“海は私たちの命”と語る住人。だが1982年、島の対岸3.5kmの田ノ浦に上関原子力発電所建設計画が持ち上がる。“海と山さえあれば生きていける”と祝島では住民の9割が反対を表明。以来28年間、島を挙げての原発反対運動が続いている。効率と利益を追い求める社会が生み出した原発と、大きな時間の流れと共にある島の生活。原発予定地と祝島の集落は海を挟んで向かい合う。1000年先の未来が今の暮らしの続きにあると考えたとき、私たちは何を選ぶのか。命をつなぐ暮らし。祝島には数多くのヒントがある。