TVアニメ『鉄腕アトム』の音響デザイナー、大野松雄を追ったドキュメンタリー。監督は「乱暴と待機」の冨永昌敬。ナレーションを、音楽やファッションなど多方面で活躍する野宮真貴が担当する。1930年東京神田に生まれた大野松雄は、文学座の音響担当を経て、NHK効果部に入局。そこで、シュトックハウゼンの電子音楽の存在を知る。オシレーターとテープ・レコーダーを使ったこの新しい芸術に感銘を受けて、わずか1年で退局、フリーランスの音響技師となる。いくつかの実験映画に関わった後、1963年に始まったアニメ『鉄腕アトム』の音響効果に抜擢。文学座時代の先輩でフジテレビ映画部の竹内一喜は「彼が手掛けたアトム、御茶ノ水博士、ウランちゃん、みんな音が人格を持っていた。“人格を持つ音”というのは、日本ではこれまでなかった」と語る。大野の電子音楽は、モダン・ジャズ、フリー・ジャズのフィーリングを持ち込んだ即興的でユーモラスものだった。従来、「効果マン」と呼ばれる世界から現れた彼だったがそう呼ばれることを嫌い、自らは「音響デザイナー」と名乗った。「音による演出家」を自任していた大野は、作品の世界観を巡って、原作者である手塚治虫ともやり合った。「私が演出家だ」という手塚に「素人は黙ってろ」と言い返したという痛快な逸話もある。そんな仕事ぶりが評価されるのは、翌64年『ASTRO BOY』としてNBCネットワークで放映、アトムが全米の子供たちに受け入れられてからである。海外進出で果たした大野の貢献は大きい。だが生涯、クレジットを残したテレビアニメは『鉄腕アトム』と『ルパン三世』(第1シリーズ)の2作のみ。綜合社という会社を立ち上げてからは、万博のパビリオン音楽などが大野の表現の場となり「この世ならざる音」を創作テーマに、立体音響などに取り組んでいく。そんな大野が80年代、突然、スタッフの元から消息を絶つ。冨永昌敬は、当時を知る者の証言を手掛かりに京都、滋賀へと向かった……。
ストーリー
※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。