フレッド・マクマレイ
Edward_Rickenbacker
ウィンフィールド・シーアンのプロデュース作品で、有名になったエドワァド・リッケンバッカアの実話からジョン・タッカア・バトルが脚本を書き、「海の巨人(1930)」「四十二番街」「ワンダー・バー」その他多数のワーナー・ブラザース映画を担当したロイド・ベーコンが監督に当たり、ジョー・マクドナルドが撮影監督した伝記的回想物語である。俳優は主演者に古くは「テキサス決死隊(1936)」「シャムパン・ワルツ」近くは「淑女と拳骨」のフレッド・マクマレイ。これを囲んで「銀嶺セレナーデ」あたりから再売出しを試みられているリン・バリ、「ダイナマイト(1929)」「砂漠の生霊」「地下の電線」「平原児」等のチャールズ・ビックフォード、「コンドル(1939)」「駅馬車(1939)」「王国の鍵」「肉体と幻想」のトーマス・ミッチェル、「テキサス決死隊(1936)」「Gメン」「片道切符」等のロイド・ノーラン、「王国の鍵」「幽霊ニューヨークを歩く」等で健在ぶりを示した名傍役ジェームズ・グリースン等の堂々たる顔ぶれである。
果てしない太平洋上に、軍事輸送機が不時着して、海中へ没しようとする機体から8名の乗員が、かろうじて救命いかだへ乗り移ることが出来た。そのなかにエデイ大尉がまじっていた。ウィッテーカー中尉が食糧も水も流失してしまっていることを発見して、人々は絶望の底に沈むが、少年時代から機械というものに絶大の信頼を持つエデイ大尉だけは少しも失望をしなかった。エデイ大尉は13歳の少年の頃、9フィートの板片と大きな洋傘と馬車の車輪とで製作した彼のいわゆる「飛行機」でグレイ納屋の屋根から飛びおりたことがあった。50人もの子供たちがこれを見物に集って騒いでいた。驚いたエデイの母親が駆けつけた時には、彼はすでに屋根を飛び立って無事に乾草の山の上へ着陸した。そして「飛んだよ、お母さん、どうだい……」と得意気であった。それ以来彼の機械熱はさめることなく、父親は更に彼を励まして、「機械への信頼を失ってはいかん。」と教えた。その父親が亡くなったあと、彼は学校をやめて自動車会社の職工として働いていたが、工場にはり出されたポスターを見て、飛行機の試乗に申し込み、見事にこの飛行機が墜落、彼は負傷をしてしまった。それ以来彼の母親は彼に2度と飛ばない誓いをさせた、この時エデイの少年時代への追憶は、人々の騷ぎでたちきられた。カモメが来ていかだの上にとまったのだが、銃が発射しないという騷ぎなのである。人々はあきらめて、おいしいアイスクリーム・ソーダの夢でも見ることにした。アイスクリーム・ソーダと云えば、エデイは町の薬屋の喫茶部で逢った美しいアデライーデのことを想い出した。エデイは彼女の自転車に自分の自動車をぶっつけてこわしてしまったので、ダンス学校まで彼女を送って行った。それから発心してダンスを習い、ダンス大会に出席した。持前の押しの強さで、彼はこの夜アデラィーデを自分の自動車で家まで送りとどけることになったが、途中自動車の放熱器が焼けたので、彼は自動車が動かなくなることを覚悟でこれに冷水をぶっかけた。しかし効果は反対であった。新発見に夢中になったエデイはアデラィーデを乗せたまま工場へ駆けつけて研究に没頭して、やっと彼女を家へ送りとどけたのは朝の4時であった。機械へのこうした彼の好奇心は、自動車競争に優勝させてスピード王の名を得たが、やがて大戦の勃発によって出征することになった。その時母親は、飛行機に乗らないという誓いを解いてくれた。フランスへ渡って彼が参加したのは第94航空隊であって、やがて航空隊のエースとして名をうたわれた。平和になって国へ帰った彼は、アデライーデと結婚し、東部航空会社に勤務し━━と果てしなく夢を追っているうちに、激しい暴風雨が襲来して彼の夢もまたもや中断してしまった。8名のうち一人はついに死んで行った。次に死ぬのは誰かと皆が絶望的な気持になっているとき、一人元気で一行を励ましているのはエデイ大尉であった。そのうちに1羽のカモメが飛んで来てエデイの頭へとまったので、それを捕えて人々は19日目には初めて食物にありついた。しかしやがて人々は根気もつきてちりじりばらばらになったが、2日後にエデイと彼と一緒にいた2人の人々は、モーターのとどろきを聞いた。やがて1台の飛行機が視界に現われ、彼らの方へ近づいて来たのだった。
Edward_Rickenbacker
Adelaide
Milliam_Rickenbacker
Ike_Howard
Lieut._Whittaker
Tom_Clark
Elise_Rickenbacker(as_a_boy)
Mrs._Frost
Private_Bartek
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