「海炭市叙景」の原作者で、1990年に自ら命を絶った不遇の小説家・佐藤泰志の人生を追ったドキュメンタリー。監督は「フクシマ2011 被曝に晒された人々の記録」の稲塚秀孝。再現ドラマも交えながら、小説を書くことに捧げた佐藤の生涯に迫る。出演は、歌手の加藤登紀子。語りを「影武者」「春との旅」などの仲代達矢が担当する。
ストーリー
厳しい冬と短い夏の街、函館。佐藤泰志はこの街に生まれ育ち、20歳まで過ごす。父母は青函連絡船を往復して青森産の黒石米を運び、函館で売りさばく“担ぎ屋”として生計を立てていた。幼い頃から作文を書いた佐藤は、中学2年の文集に「芥川賞作家になる」と将来の目標を書いている……。〈第一章 きみの鳥はうたえる〉1982年1月。「きみの鳥はうたえる」が芥川賞候補になり、函館の実家で結果を待つ佐藤。一方、東京・築地の料亭では、芥川賞選考会議が開かれ、計8作品について喧々諤々の議論が行われた。だが結果は「該当作なし」。佐藤は作家として生きる道が開けたことから、再び東京に戻ることとなる……。〈第二章 多感な青春〉1966年。佐藤は函館西高校2年になっていた。この秋、戦時下の中国を舞台に若い日本兵の苦悩を描いた小説「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。高校3年間は文芸部に所属、独自に執筆活動をしながら投稿を重ねていた。そんな中、「市街戦の中のジャズメン」(後に「市街戦のジャズメン」と改題)を書き、第5回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。しかし内容が高校生にふさわしくないという理由から、新聞掲載はならなかった。そして高校卒業から2年後、青函連絡船に乗って上京する……。〈第三章 作家への道〉国学院大学に進んだ彼は、函館西高校の同期生らと同人誌「黙示」を発行。小説、詩だけでなく、漫画や政治評論まで間口が広かったことから、文学作品で構成したいと考え、突如6号で離脱。新たに高校の後輩達と「立待」を発行する。大学4年間は、「立待」と共に「北方文芸」にも小説を書いた。学生結婚、そして大学卒業後はアルバイトをしながら作家への道を目指す。1976年、「深い夜から」が第一回北方文芸賞佳作となるが、翌年頃から精神の不調を訴え、以後精神安定剤を飲み続け、療法として体操やランニングを続けた。1980年、「もうひとつの朝」が「作家賞」受賞。長女、長男にも恵まれ、4人家族となっていた。1981年~82年の函館での生活を経て、再上京。1983年~1985年にかけて、「空の青み」「水晶の腕」「黄金の服」「オーバー・フェンス」と計5回、芥川賞候補となるが、受賞は叶わなかった。小説を書き続ける合間に、「アルバイトニュース」のエッセー、書評、放送時評、文芸誌新人賞の下読みなどの仕事をした。1990年初の長編「そこのみにて光輝く」で第2回三島由紀夫賞候補となるが落選。〈第四章 海炭市叙景〉1988年から36篇の連作を構想する「海炭市叙景」を文芸誌「すばる」に断続的に掲載。しかし1990年「すばる」4月号掲載の「楽園」で終了、構想した全36篇の半分であった。1990年10月10日、佐藤は自ら命を絶つ。亨年41。
スタッフ
監督、プロデュース
稲塚秀孝
ナレーション
松崎謙二
撮影
進藤清史
撮影
作佐部一哉
美術
庄司薫
美術
嶋村崇
編集
油谷岩夫
照明
男澤克幸
照明
川島孝夫
ミキサー
永田恭紀
音響効果
塚田大
助監督
岩田大生
助監督
池田春花
助監督
新見圭太
助監督
中野沙羅
主題曲/主題歌
ロベルト・シューマン
EED
金井猛
EED
佐藤幸
音声
内田丈也
音声
斎藤泉
音声
武田脩平
題字/タイトル
西本直代
語り