珍画撮影所
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珍画撮影所

1932年公開
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「けだもの組合」「名門芸術」のジョージ・S・カウフマンが、モス・ハートと合作した舞台劇を、「暁の偵察」「群集の喚呼」のショートン・I・ミラーが脚色し、「楽園の大河」「蹴球大学」のラッセル・マックが監督した映画で、主役は「空の花嫁」「闇に踊る(1932)」のジャック・オーキーが勤め、「裁かれる魂」「令女学」のシドニ・フォックス、「特撮社会面」のアイラン・マクマホン、舞台俳優だったグレゴリー・ラトフ、「死の拳銃狩」のラッセル・ホプトン、「ハリウッドは大騒ぎ」のザス。ビッツ、「ヴィエンナの夜」のルイズ・ファビセンダ、オンスロー・スティヴァンス、モナ・マリス、ジョビナ・ハウランド等が助演している。撮影は「蹴球大学」「ボルネオの東」のジョージ・ロギンソンの担当である。

ストーリー

最初の発声映画「ジョズ・シンガー」がニューヨークウィンター・ガーデン座で驚異的成績を挙げた時、ヴォードヴィルの劇場は閉鎖するものが相次いでいた。場末の小屋に出演していた三人組のヴォードヴィル役者、メイ・ダニエルス、ジェリイ・ハイランド、ジョージ・リュイスは彼らが来週出演する筈の劇場がトーキー館になるので出演お断りの通知を受けた。その夜メイとリュイスがランチを食べに行っている時ジェリーは「ジャズ・シンガー」を見に行って酷く興奮して帰って来た。ジェリイ皆で直ちにハリウッドへ行くことを提議した。かくて三人は貯金をひき出し、自分たちの演し物の権利を売って旅費を作り、ハリウッドへ行って活動役者共を相手の台白まわし教授の学校を経営する決心で出掛けた。リュイズは大愚者で平然としてくるみを食べていた。彼らは列車上でヘレン・ホバートというメイの知己に会った。ヘレンは昔女優だったが今はハリウッドの活動記者として有名になっている女だった。メイは自分たち三人は欧州で音楽教育の学校をやっていたこと、ジェリイ・ハリランドはマネジャーでリュイス博士は名誉教授である、と嘘八百を並べた。それを真に受けたヘレンはハリウッドでその学校を開くことを勧め、自分も株を持つというので、ハリウッドの成功者の一人たるプロデューサーのハーマン・グロゴーアーに電報を打って会見を約した。ヘレンはリュイスに興味を持ったがリュイスはスターを夢見てハリウッドが志しているスーザン・ウォーカーという娘に興味を感じた。かくてヘレンの肝入りで三人はグロゴーアーの撮影所専属の台詞まわし教授となり、スーザンもリュイスの世話で女優に雇われた。ところが台詞まわし教授が受けたグルゴーアーのスター女優たちは、テストの結果まるで駄目なことが判明した。三人は早速首にされた。リュイスは、待合室で六ヶ月の契約で脚本部に入る作家ローレンス・ヴェイルと会った。ヴェイルは六ヶ月間一度もグルゴーアーの会えず、一篇の脚本も書かせられなかったので、憤慨して一人で罵言を放って去った。リュイスはその聞いたままをグロゴーアーの事務室に行って怒鳴った。グルゴーアーは驚いて感心して早速リュイスを最高顧問に雇い、彼の言うままにスーザンをスターに取立て、メイとジェリイをリュイスの助手として雇った。かくてリュイス総指揮の下にスーザンを主役して撮影されたえいがは脚本を取り違えて異なったものとなっていた。グロゴーアーは再び皆を首にした。ところが封切りされるとその映画は批評家に絶賛され、リュイスの名指導とスーザンの名演技が褒めちぎられてしまった。リュイスとスーザンが三たびグロゴーアーに迎えられたことは言うまでもない。リュイスは天才として厚遇された。

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作品データ

原題
Once in a Lifetime
製作年
1932年
製作国
アメリカ
初公開日
1932年
製作会社
ユニヴァーサル


[c]キネマ旬報社