南海の薔薇
南海の薔薇
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南海の薔薇

1929年公開
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かつて「ロッキーの薔薇」に出演した舞台スターのレノア・ウルリック嬢が主役を演ずる映画で、トム・カッシング氏作の舞台劇「ラ・グリンガ」に基いて「我が心の歌(1930)」「巴里見るべし」のソニア・レヴィーン女史が脚色し、「鐵假面」「遥かなる叫び」「悲恋の楽聖」等をものしたアラン・ドワン氏が監督し、「女の一生」「三週間」「アビーの白薔薇」のハロルド・ロッソン氏が撮影した。助演者は「砂漠の生霊」のチャールズ・ビックフォード氏、「最後の一人」のケネス・マッケンナ氏、「我が心の歌(1930)」のJ・ファーレル・マクドナルド氏「踊るカレッジ」のエリザベス・パターソン嬢、「ハッピイ・デイス」のトム・パトリコラ氏及びジョージ・マクファーレーン氏、イルカ・チェイス嬢、ダフネ・ポラード嬢、かつてスターたりしシャーロット・ウォーカー嬢、エミール・ショータール氏等である。

ストーリー

ロザリイ・デュメイはフランス人を両親として風薫る南海に生れ、或る尼僧院で教育を受けた。人々は彼女を南海の薔薇と呼び、彼女の野生の美しさを賞でていた。尼僧院長は美しいロザリイを僧院内にとぢ籠めて置くに忍びなかったがボルドオに居る彼女の伯父は彼女を手許に呼寄せる気はないらしく見えたので何うすることも出来なかった。ところが或る日のことロザリイの伯父と共同出資して船を持っているブリッグス船長が此の島を訪れた。ブリッグスは一等運転士のハッケットに5000ドルの借金があった。その金をボルドオ居住のロザリイの伯父から取る心算でいたブリッグスはロザリイをダシに使うことに決心した。世の中に出たいと望んでいるロザリイをブリッグスは航海に誘った。船上でハッケットの手でブリッグスはロザリイと結婚式を挙げた。その直後暴風が起って甲板に落雷があり、ハッケットは倒れた柱の下敷になって腕に重傷を負った。船医では何うにもならぬ傷だったのでハッケットは上陸して、病院に連れて行かれた。ロザリイは外科医のトム・ウィンストンを好ましく思い、後髪をひかるる気持で別れた。米国マサチューセッツ州の或る町のブリッグスの家に来ると、厳格で狭量な親族達から冷遇を受けた。しかもブリッグスはボルドオへ金策に1人で赴いたので、誰1人頼る人もなくなったロザリイは虚病を使ってウィンストン医師を呼び迎えることとなった。彼女はハッケットが入院している病院でウィンストンとしげしげと会ったのである。一方ブリッグスはボルドオへ行って見るとロザリイの伯父というのは一文無しで、ロザリイの財産も政府に没収されていることが判った。落胆して戻ったブリッグスは此の事をハッケットに告げた。ハッケットはブリッグスがロザリイの金を横領する企らみだったことを感知して立腹した。困惑したブリッグスは遂に借金のかたに船をハッケットに遣ることを承知した。泣っ面に蜂でブリッグスは妻のロザリイが医師のウィンストンと恋に陥っていることを知って驚ろいた。そして今更のように彼自身もロザリイを愛していることを悟ったのである。ロザリイは良人と愛人との間に立って迷ったが、ブリッグスが誠心誠意を持ってロザリイを愛するようになっているのを知った時彼女は悦んで力強い良人の腕に抱かれたのである。

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作品データ

原題
South Sea Rose
製作年
1929年
製作国
アメリカ
配給
フォックス支社輸入
初公開日
1929年
製作会社
フォックス映画


[c]キネマ旬報社