金野佳博
ジンノスケ
市民運動の末に設置された新幹線請願駅・新花巻駅を巡る14年間の物語。1971年10月、国鉄は東北新幹線基本工事計画を発表するが、設置予定停車駅に花巻の名は無く、線路も街の中心部を外れていた。数名の市民が市民会議を発足し、駅設置運動を始める。2018年門真国際映画祭最優秀脚本賞、第4回賢島映画祭特別賞受賞。
東海道新幹線の大成功から新幹線が日本中で期待の的になっていた1971年(昭和46年)10月、日本国有鉄道は、東北新幹線基本工事計画を発表する。岩手県花巻市では停車駅設置有力の前評判に市民は大きく期待していたが、発表された設置予定停車駅に花巻の名は無く、線路も街の中心部を大きく外れていた。誰もが諦めかけたそのとき、数名の市民が東北新幹線問題対策花巻市民会議を発足し、行動を開始する。市民総決起大会を開催、国鉄に直談判に行くなど、駅設置運動の中心的な存在となっていく。当初の目標は、大きく街を迂回する形となった新幹線線路の路線変更だった。将来的な駅設置の可能性を高めるために、まずは線路を街の中心部に持っていかなければならない。そのためには、線路予定地の土地を国鉄に売らないことが彼らの基本戦略だった。しかし、市街地中心のこの戦略は、地権者たちと衝突し、空回りする。国鉄への交渉で路線変更が不可能と判明すると、駅を今予定されている線路に設置するという案が浮上する。市民会議は地権者たちと結託し、土地の権利を盾に取り、市・県・国鉄を相手取り、体当たりで駅設置の方法を探っていく。一方、赤字を抱えた日本国有鉄道は解消できる算段もつかず、労働組合は暴走し、国民からの非難は大きくなっていた。そして「スト権スト」が勃発し、国鉄は大きな方向転換を迫られていた。また、花巻市に新駅が設置されるには数十億かかるという予算の問題があり、仮に予算を計上できても、それを駅設置に使えないという法律の問題があった……。
ジンノスケ
まるかん
セイザンボウ
フジショウ
タニカワ
タダセイコウ
カンノ
マンノスケ
イトウ議長
旧市長
スギヤマ
タカハシ
ナガハマ常務
ソガワ
チダ知事
ショウゾウ
オザワ
タナカ総理
カネハラ
監督、脚本、撮影、編集
撮影、特機
撮影
音楽
美術、助監督
美術、助監督
美術、助監督、アソシエイトプロデューサー
メイク・衣装、アソシエイトプロデューサー
メイク・衣装、アソシエイトプロデューサー
メイク・衣装
メイク・衣装
照明
照明、アソシエイトプロデューサー
照明、アソシエイトプロデューサー、制作
照明
照明
照明
録音、アソシエイトプロデューサー
録音
録音、空撮
録音
録音
録音
録音
助監督
企画、コプロデューサー、アソシエイトプロデューサー
プロデューサー、ラインプロデューサー、制作
影のプロデューサー、制作
アソシエイトプロデューサー、制作
アソシエイトプロデューサー、制作
題字
制作
制作