マッケンジー脱出作戦
マッケンジー脱出作戦
-

マッケンジー脱出作戦

1971年3月13日公開、戦争
  • 上映館を探す
  • みたい
    0
  • みた
    0
評価、レビューが削除されますがよろしいでしょうか?

第二次世界大戦中の捕虜脱走は連合軍側のものばかりではなかった。独軍兵士による脱走実話がこれである。製作は「インディアン狩り」のコンビ、ジュールス・レヴィ、アーサー・ガードナー、アーノルド・レイヴン、監督は「ライフルマン」などTV界より進出のラモント・ジョンソン、シドニー・シェリーの原作を「賭けの報酬」のウィリアム・ノートンが脚色、撮影はマイケル・リード、音楽をリズ・オルトラーニ、編集をトム・ロルフがそれぞれ担当。出演は「ネバダ・スミス」のブライアン・キース、「地獄に堕ちた勇者ども」のヘルムート・グリーム、「丘」のイアン・ヘンドリー。その他、パトリック・オコンネル、ホルスト・ヤンソン、トム・ケビンスキーなど。

配信で観る

ストーリー

第二次大戦中、スコットランドのマッケンジー捕虜収容所には、Uボートの艦長シュロイッター(ヘルムート・グリーム)以下600 人の独軍兵が収容されていた。軍人たる者、ひとたび虜囚の憂き目にあおうとも常に脱走を試み、敵の後方撹乱をめざすが務めである。彼らも英軍の所長(イアン・ヘンドリー)や副官コックス(パトリック・オコンネル)の再三の脅しにかかわらず、ベルリン本部と連絡をとり、脱走を計画した。計画は着々進んでいた。異常を察知した英情報部は、脱走計画を探り、収容所で実権をふるうシュロイッターを抑えるためアイルランド人の大佐ジャック・コナー(ブライアン・キース)を派遣する。彼のやり口は強圧的なもので、生ぬるいものではなかった。計画的暴動が起きるが、コナーは容赦しなかった。しかし、騒ぎにまぎれ、シュミット(トム・ケビンスキー)たちが脱走した。彼らは次の大がかりな脱走計画の布石であった。一方、収容所では捕虜の1人ノイクル(ホルスト・ヤンソン)がシュロイッターの部下に袋叩きにされ、瀕死のところを救出されるが、28人の潜水艦乗組員のことを呟くと息絶える。この事件と手紙検閲などから、コナーは脱走が計画されていると判断を下し、ペリー所長の反対を押し切って、捕虜をわざと脱走させ、救出にくる者ごと一網打尽に捕える案をもくろんだ。手ごわいコナーの指揮の目をかすめ、脱出準備を急ぐシュロイッターのもとに、潜水艦が海岸の予定の場所に近づきつつあると連絡が入った。行動決起の時来たり。闇にまぎれ、28人の脱走兵はトンネルに潜った。後に残る者は脱走発覚のカバーに廻った。シュロイッターたちは待機していたシュミットのトラックに乗り込み、海岸へと突っ走った。裏をかかれたコナーは、警察にも手を廻すと同時に、自分は飛行機に乗って捜索に出る。岩だらけの海岸で身を隠すシュロイッターたちと必死の捜索を続けるコナー。陽は落ちかかり、ギリギリの低空飛行を試みるコナーは突然、海岸に近づくUボートを発見する。コナーは沿岸警備隊の魚雷艇の出動を要請した。荒い波の中で必死に進むUボートと魚雷艇。コナーの乗った飛行機もUボートからの対空砲射で不時着する。コナーは走った。僅かな距離を急ぐUボートと魚雷艇、そして銃撃戦。シュロイッターたちの望みは、空しくスコットランドの海の藻屑となった。ほんの僅かな違いであったのに--。

映画レビュー

まだレビューはありません。
レビューを投稿してみませんか?

コラム・インタビュー・イベント

ニュース

作品データ

原題
The Mckenzie Break
製作年
1970年
製作国
アメリカ
配給
ユナイト
初公開日
1971年3月13日
製作会社
レヴィ=ガードナー=レビン・プロ作品
ジャンル
戦争


[c]キネマ旬報社