脚本
故マーチン・ジョンソンの夫人で共にアフリカを探検して記録映画を製作したオサ・ジョンソンの自伝風映画で、彼女自ら執筆した著書からスクリプトしたものである。多くのマーチン・ジョンソン映画を素材として編集して作られている。
ストーリー
カンサス生れのオサとマーティン・ジョンソンは、17年前に結婚した。そして直ちに1台のカメラを持って南海の探検撮影に出発した。この旅行は2年の歳月を費し、番人や人食人種を初めてフィルムに記録した。ボルネオでマーティンが熱病にかかったので帰米した。その時有名な探検家カール・エークリーからアフリカへ行くことを勧められる。最初にアフリカへ行ったのは1927年であった。夫婦は様々の危険に面しつつ、猛獣その他の貴重な撮影を続けた。彼らの旅行は長年にわたって幾度も執行され、ある時は徒歩で、ある時はラクダの背にまたがって、またある時は自動車を用いた。多くの珍しい動物の生態実写や、爽快にして危険な猛獣狩や、ピグミー人の集落や、未だ文明社会に紹介されたことのない原住民たちの風習がフィルムに記録された。1937年には、ついに夫妻はアフリカの空に飛行機を飛ばした。この探検旅行は地上からは近づくことを許されなかった土地を征服した。一杯の紅におおわれたナクルの湖、熱帯にありながら頭上には雪を被ったケニアの高峰が空から撮影された。動物の群集生活の野生状態も、空からは自由に撮影することが出来た。この旅行は非常な成功を以て終り、ジョンソン夫妻は世の賞讃を浴びつつ、帰国したが、2人は決してそれけでは満足しなかった。夫妻が10年前に初めて2人で探検を試みたボルネオの熱帯で雨の多いジャングル。この地だけがマーティンの病気のために探検を完成せずして帰国の止むなきに至ったのである。2人は準備を整のえて北ボルネオへ向った。そして珍しい飛び蛇や、あらゆる種類にわたる猿や、最後にオランウータンをフィルムに収めた。かくて初志を貫徹した2人は、このフィルムを持って帰国の途についたのであるが、帰途マーティンは飛行機事故によって一命を失った。