フィリップ王配逝去…波乱万丈、“女王の夫”に徹した99年の人生
エリザベス女王の最愛の夫フィリップ王配が、9日にウィンザー城で静かに息を引き取った。99歳だった。
ギリシャ王室の出ながら、ロシア、ドイツ、デンマーク、英国と多国籍の血が流れているギリシャ生まれのフィリップ王配は、複雑な家庭環境に育った。クーデターでフィリップ王配の父親は、革命政府から死刑を宣告されたが、英ジョージ5世が用意したイギリス海軍の軍艦で、家族とともにギリシャを脱出。フランスに亡命したが、母親はうつ病に、父親は愛人を追いかけてモナコへ、さらに4人の姉は全員ドイツの王室に嫁いだため、家族はバラバラになってしまう。また最愛の姉の1人が飛行機事故で死去するなど、怒涛の幼少時代を過ごす。
やがて勉強のためイギリス、ドイツで過ごした後、イギリスの海軍に入隊。イギリス海軍として第2次世界大戦で戦った後、イギリスに移住することとなった。
1946年に、エリザベス女王の父ジョージ6世に許しを請い、1947年にイギリス国籍を取得。ギリシア正教徒から英国国教会に改宗し、形式上のギリシャ王子及びデンマーク王子の地位を放棄した。そして11月には、当時即位前のエリザベス王女と結婚したが、世間では、“移民の夫”“ハンサムだが教養がない”などと揶揄されながらの結婚で、母親は修道女の服装で出席が許されたが、ドイツ王室に嫁いだ姉たちは招待されず、疎外された環境にあったという。
それでも愛に満ち溢れた幸せな結婚生活を送っていたお2人だが、1952年2月、父親のジョージ6世が崩御したため、弱冠25歳で女王の座に就くことになったエリザベス女王を支えるため、海軍を退役。リーダーシップに溢れ海軍としても優秀だったフィリップ王配にとって、この選択は容易ではなかったが、女王の夫として生きる覚悟を決めたという。
常にエリザベス女王の前に出ることなく支え続けてきたフィリップ王配だが、性格は前向きでアクティブ。数多くのチャリティ活動や環境問題に携わり、ジョークとおちゃめな性格で、若者たちも魅了した。
また、戴冠式では、エリザベス女王の母親らの反対を押し切って、テレビでの中継を断行、1961年に王室のメンバーとして初めてテレビインタビューに出演するなど、チャレンジ精神も旺盛だった。スポーツも万能で、ヘリコプターの免許を取得し、英王室のメンバーで初めてバッキンガム宮殿からヘリコプターで飛び立った人物でもあり、サポートに徹しながらも先駆者的な役割も果たし、多くの人々を助け、また魅了してきたようだ。
2017年に公務を引退するまで、女王の公務の大半に同伴しつつ、単独での海外訪問も行い、2万2000以上の公務をこなしてきたフィリップ王配。家族との離散や、差別を受けながらも“女王の夫”としてエリザベス女王を献身的に支え続けた。エリザベス女王も公の場で何度もフィリップ王配を称えてきたように、フィリップ王配のサポートなくして、現在のエリザベス女王は存在しなかったのではないかと言われるほどだが、支えたのは女王だけではなかった。
例えば、テレビでオンエアされたダイアナ妃の葬儀で、棺を乗せた砲車の後ろを歩くのを拒んだウィリアム王子を、「歩かないと後悔することになる。私が歩けば一緒に歩くね」と促したのもフィリップ王配だと言われており、その波乱万丈の生い立ちから、英王室のメンバーのみならず、人を思いやり、老若男女問わず多くの人に愛されていたようだ。
長年にわたる女王及び英国民やイギリス連邦への奉仕の精神で、人々の信頼を勝ち取ってきたフィリップ王配の死を、ヘンリー王子は、いまどのように受け止めているのか。ヘンリー王子が英国に戻って葬儀に参加するのか、世界中の人たちが固唾を呑んで見守っている。
現在英国は、全ての政府庁舎で葬儀の翌朝まで半旗にするなど、全土で喪に服しており、エリザベス女王は、喪に服すため8日間の間、すべての公務を中止する。
文/JUNKO