厳戒態勢下のカンヌ映画祭、2017年は試金石がいっぱい

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厳戒態勢下のカンヌ映画祭、2017年は試金石がいっぱい

カンヌ国際映画祭は70歳を迎えた。映画の歴史を、映画はフランスで誕生したという説を採れば、今年映画は122歳。その半分以上をともにしてきたのがカンヌ映画祭である。

 元々、ファシズム国家であったイタリアが始めたヴェネツィア映画祭に対抗する自由主義国側の映画祭を、ということで始まったカンヌ映画祭である。いや、始まるはずだったのだが、第一回目の開催日当日ナチスはポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まったため、終戦後1946年まで開催は見送られたという歴史がある。

 その歴史がここ数年どうしても思い出されてしまう状況になってきた。フランスではシャルリー・エブド編集部の襲撃事件以来、パリで、そして昨年、映画祭の終わったばかりの隣町ニースでも無差別殺人事件が起こっている。

 たくさんの人を、世界の人を、そして世界の有名人をねらうなら、今、ここが…と考えてしまうのを笑うことはできない。新しい大統領が決まったものの、だからもう安心などといっていられない。今年のカンヌは厳戒態勢の下にある。会場に通じる道路の要所は警察車両によって封鎖され、小銃を携えた警官が立っているし、砂浜沿いの遊歩道を、自動小銃を構えた迷彩服の兵士が半袖短パンの観光客や映画祭参加者にまじって警戒している。各会場の入り口には金属探知機のゲートが設置され、黒服のセキュリティ会社の人々による荷物チェックとボディチェックも行われているというありさまなのだ。

しかし。ショー・マスト・ゴー・オン。カンヌ映画祭はひるまない。オープニング作品となったアルノー・デプレシャン監督の『イスマイルの幽霊』の記者会見でこの作品のテーマを聞かれた監督曰く「人生にはいろいろなことが起こる。そしてそれは、貴方の身にも起こるかもしれない。と、いうことかな」……確かに、それはそうなんだが…。 いいことも悪いことも、自分の身に置き換えて考えてみる、そのきっかけになるのが映画の一つの作用ではある。そんな原点をおさらいしながら、今の世界に対して、映画が、そしてあなたやわたしが何ができるか考えてほしい。今年のラインアップを見るとなんとなく、そんな感じがするのは筆者の先走り、だろうか。

 今年の映画祭にはいくつかの新しい試みがある。先頃映画製作からの引退を発表したデビッド・リンチの新テレビシリーズ『ツインピークス』と、ジェーン・カンピオンたちが監督を務めた『チャイナガール』というテレビシリーズを公式上映すること。NetFlixが製作に関わったり、NetFlixの作品が映画作家になるきっかけになった監督の作品が上映されたりと、「Netと映画」の関係を問うこと。ヴァーチャルリアリティの作品を上映すること。など、「映画をどこで、どのような媒体で、どのようにしてみるのか」についての問いかけ、である。

 フランスにおける映画の誕生は、一台の映写機によって大きなスクリーンに投影された映像を、多くの人と一緒に暗闇で見る、ことであったとされている。今映画はエジソンのキネトスコープのような、一人でのぞく装置へと回帰していると言われている。それについても問いかけの行われる年になりそうだ。

 映画祭初日行われた審査員の会見では、審査員長ペドロ・アルモドバル監督が、個人としての意見だがと前置きをして「賞でも取らない限り映画館では上映されないで、ネットで配信される前提で作られる作品を"映画"とは呼びたくない。少なくともイスよりも小さい画面で見ることは"映画"を見たとは言いたくない。審査は厳正にするけれど、NetFlixの作品は…考えてしまうなぁ」と発言。拍手がおこった。

こういう監督たちの思いが直接に発表されるのも映画祭の面白いところ。世界の情勢や、ジェンダー、LGBTQ、レイシズム、異常気象など、今年の映画祭が問いかける問題は幅広い。それをどこまで受け取れるのか。それが映画祭観客の、ジャーナリストの戦いになる、のである。【取材・文/まつかわゆま(シネマアナリスト)】

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