“デプレシャンの亡霊たち”が織りなす豪華なアンサンブル[最速レビュー!東京国際映画祭]
過去と現実を往来し、映画と現実さえも往来する、いくらでも遊びの利く題材ではあるが、荘厳な雰囲気に留まってしまい、妙に外連味に欠けた印象を受けてしまうのは、アルノー・デプレシャンという作家の生真面目な一面が出ているのだろうか。近作はわりと小ぢんまりとした作品が多かったデプレシャンが、突然自由な発想で『イスマエルの亡霊たち』を紡ぎ出し、豪華なキャストのアンサンブルを導いた。
新作の撮影を控えた映画監督のイスマエルの前に、20年以上前に失踪した妻カルロッタが現れる。彼女を死んだものだと思いつづけ、新しい恋人シルヴィアと過ごしていたイスマエルは、この再会に狼狽し、動転する。そして奇妙な三角関係になるかと思った矢先、シルヴィアは去ってしまうのである。
死んだはずの妻が現れたというプロットに“亡霊たち”のタイトルであれば、巧妙な亡霊譚になるのではと期待してしまったが、どうやらこの映画には明確な亡霊は登場しない。では“亡霊たち”とは何を指すのか。この物語を主人公イスマエルを軸にして観るとすれば、彼を取り巻く人物が“亡霊たち”に当たるということだろうか。元妻カルロッタに、新しい妻シルヴィア、女優のフォニア(劇中劇ではアリエルという役を演じる)、元妻の父で著名な映画監督のアンリに、劇中劇の主人公に投影させられた弟イヴァン。
いずれも行き詰まったイスマエルに、さらなる追い討ちをかけたり、現実と幻想の境さえも超越して彼の心情を左右させる。なんとも『8 1/2』的な、極めてオーソドックスに映画監督の苦悩を描いた作品なのかもしれない。挙句にイスマエル自身がイスマエルの亡霊と対峙するのだから尚更である。そんな中、プロデューサーを演じるイポリット・ジラルドだけは、その“亡霊たち”と一線を画す。自分の幻影で気絶したイスマエルを目覚めさせる存在となり、狂気じみたイスマエルの放った銃弾で負傷し、彼は血を流すのである。
もっとも、そんな“亡霊たち”それぞれのドラマも、作品の主軸のひとつとして存在させるのだから、より難しく考えざるを得なくなってしまう。死んだはずの娘に狼狽するアンリは尊厳死を求め、スカイプの画面で登場するイヴァンに、ストーリーテラーのように観客に向かって語りかけるシルヴィアの姿。
彼らはもはや“イスマエルの亡霊たち”ではなく“デプレシャンの亡霊たち”といったところだろう。これまでのデプレシャンの作品の集大成として、この映画はあらゆるテーマを集約させられており、彼らはそれを明確に演じきっている。役者陣の魅力で作品の生真面目さをカバーするだけの力強さは紛れもなく存在していた。
そんな俳優陣の中でひときわ輝きを放つのは、出番の圧倒的に少ないアルバ・ロルヴァケルだ。劇中劇でのクラシックな雰囲気と、公園で寝そべるイスマエルの横に突然現れる幻影のような透明感。『ハングリー・ハーツ』(14)でヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞したイタリアの才女は、ゲンズブールやコティヤールをも凌駕する存在感を見せつけた。【文・久保田和馬】