『逆転裁判』の三池崇史「これまで映画の企画が潰れたことがない」、その理由とは?
三池崇史監督の最新作は、人気ゲームを成宮寛貴主演で映画化した『逆転裁判』(2月11日公開)。三池監督といえば、『ヤッターマン』(09)や『忍たま乱太郎』(11)などのとことん弾けた娯楽映画から、『十三人の刺客』(10)や『一命』(11)などの硬派な時代劇まで、縦横無尽に手掛けてきたヒットメーカーだが、先日の会見で「昨年、ようやく職業欄に“映画監督”と書けるようになりました。最近、ちょっと映画を作るのが上手になったなと」と、語ったのが印象的だった。三池監督にインタビューし、今だから感じる演出の手応えについて話を聞いた。
前述の発言について、三池監督はこう説明してくれた。「僕自身が映画をわかってきたというよりも、色々やっていく中で、自分と全く違う可能性を与えてくれるスタッフたち、波長の合う人間たちと出会うようになってきたってことでしょう。両方から刺激を与え合えるから、以前よりちゃんと映画が作れるようになってきた感じがするんです」。
「手法としてはどんどん素人化している」と語る三池監督。「技術的にはキャリアを積んで、プロ化しながら、心ではどんどんアマチュア化していけると面白いかなって。『逆転裁判』でも、いろんな面で勝手に他の人たちをリスペクトしてやっていくと、結果、中身が自由になるんです。僕は、原作者やプロデューサー、スタッフと決してぶつからないので。彼らが何を求めているのかを満たしたうえで、問題はその先にあると思っているから。彼らは決して敵ではないんです。たとえば、実際にゲームで『逆転裁判』をやってみると、『ああ、ここが面白い』ってところが自分なりにわかるので、そこをそのままリスペクトしてやっていくだけ。僕はこれまでたくさん映画を撮ってきましたが、企画を始めてから潰れたことは、まずないです」。
主演の成宮寛貴が会見で「三池監督は自分を曲げない」と言っていたが、三池監督は確固たるビジョンを持った監督と称されることが多い。でも、監督からは「そもそも僕には曲げるものがない」と、意外な答えが返ってきた。「たとえば、誰かと誰かがもめていたら、その理由を聞いて、『じゃあ、こうすれば?』と、糸口を見つけるんです。自分の言いたいことを主張するのが個性だとか、戦って勝ち取らないといけないってことが、僕にはピンと来なくて。それは単に僕がこうありたいと願う欲望であり、本来の個性じゃないですから。だから『ここはこうしたい』という反対の意見が出た時、普通の監督であれば、毅然と『NO』と言うんですが、僕は、毅然とではなく、平然と『わかりました』って言うだけです(笑)」。
では、それでも自分の意に沿わないことが出てきたらどうするのか? 監督はこんな例を挙げてくれた。「たとえば一週間かかる予定のシーンを、3日で撮らなきゃいけなくなった時、僕は『努力してみます』と言って撮るんです。仮に意見を押し通し、一週間の撮影期間を確保できたとしても、『自分は主張して、曲げなかった』と、そこだけで満足してしまうんです。でも、それって意味がない。そもそも一週間って期間も自分のイメージでしかないし、また、時間をかけて丁寧に撮ったものが面白いかどうかってのも全く別の話だし。じゃあ、3日間でどう撮るか?というアイデアを考えるのが意外と面白かったりするんですよ。それは苦ではなくて、むしろ楽しいんです」。
三池崇史は、実に柔軟性のある監督だ。三池組に参加した役者陣に取材をすると、口から出るのは賛辞ばかりだが、それは三池監督の大らかな人間性によるところが大きい。外見は強面なのに、内面は実にしなやかな竹のようで、色々な人と巧みにコラボレーションしていくから、アイデアも無尽蔵に広がっていく。その姿勢は、映像作家としての理想型の一つだと思う。【取材・文/山崎伸子】