台風あり、終電ありの『SR サイタマノラッパー3』壮絶な舞台裏を入江悠監督が激白
自主映画の枠を打ち破り、様々な伝説を作ってきた青春ヒップホップ映画シリーズの第3弾『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 (公開中)。先週、4月14日に封切られたばかりの本作で、入江悠監督にインタビュー! 今の心境を尋ねたら、「未だにゲリラで宣伝をやっているので、まだこれからって感じです」とのこと。自ら先頭に立って、チラシを配ったり、イベントに参加したりと大忙しの入江監督に、壮絶な撮影秘話を聞いた。
『SR サイタマノラッパー』の舞台は、毎回、都会に近い北関東の田舎で、1作目では埼玉県深谷市(劇中ではフクヤ)、2作目では群馬県、3作目は栃木県が主な舞台となった。これまで鬱屈する若者たちが、ラップを心の支えにして人生の荒波に立ち向かう姿を追ってきたが、今回は東京で一旗揚げようとして上京したMIGHTY(奥野瑛太)の挫折をフィーチャーした。
入江監督は怒涛のような現場をこう振り返った。「パート2までとの違いは、各部署にプロフェッショナルがいて、なおかつ、数倍のボランティアスタッフもいたってことです。最初、1の時は、総勢10人くらいで、しかも大学の同級生とかだったから、仲間でわいわいやっていたんです。でも3 作目では助監督もいたし、録音部にもプロが入ってくれたから、プロ、アマチュア、ボランティアという三つ巴でした。野外フェスの会場も、普通は業者に設営してもらうんですが、そんな予算はないし。テントを借りにいくところから始めて、看板に色を塗ったり、組み立てたりってことを、撮影当日の朝までやっていました」。
非常に過酷な状況だが、入江監督はこれまで心が折れそうになったことはないのか?と尋ねたら「ないんですよ」と、あっさり答えてくれた。「映画作りにおいてはね。スタッフはあるかもしれないですが(笑)。たとえば、フェスの会場は、前日に台風で吹っ飛ばされたんですよ。会場の設営は大変だから、1ヶ月以上前から常駐して、スタッフが組立ててくれていたんですけどね。その時、折れそうになったスタッフもいましたが、僕はわりと楽観的でした。悲観的になってもしょうがないから、そういった困難もどこか楽しんじゃおうと思ったりするんです。理想の100に届かなくても、前日壊された部分を上手くカバーしてやろうかなって。その方が面白いというか、刺激的だったりするんです」。
野外フェスのシーンでは、 3日間で延べ2000人のエキストラを集めての長回しシーンを敢行した。もちろん、インディーズ映画としては、無謀な試みだ。「この映画の規模で、そんなことは無理だって、多くの人から止められました。フェスのシーンだけじゃなく、脚本のテイストも今までとは違っていたから。でも、そこは押し切ったんです」。
一番、達成感を感じたのは、やはりこのフェスのシーンだった。「みんなが、これ、終わらないだろうなって思っていたみたいです。日が暮れてからしか撮れないし、1カットの長回しだから、1時間に1回くらいしか撮れないでしょ。本番は、1日で3、4回しか回せないし、エキストラの方も終電があるからどんどん帰ってしまう。そんな中で無事に終わった時は、みんなが泣いてました。普段、泣かないやつも泣いてましたね」。
本シリーズで得たものはとても大きかったという入江監督。「1と2で全国を回ったのですが、その時に舞台挨拶で見に来てくれたお客さんが応援団になってくれたり、スタッフとして参加してくれたりしました。今回のエキストラの方々も、北海道や四国から自腹で飛行機で来てくださった方もいます。こういう映画の作り方って、今後はできないんだろうなとも思っています。シリーズを積み重ねてきた成果なんでしょう。一つの大きな収穫です」。
また、シボレーも『SRサイタマノラッパー』シリーズや入江組の熱いスピリットに共感し、映画とのコラボレーションに名乗りを挙げた。今後、入江監督は、映画のキャンペーンで東京・名古屋・大阪など各地を回るが、そのキャラバンの際、ワイルド・コンパクト「シボレー ソニック」が提供されるという。東京を皮切りに、『SRサイタマノラッパー』の輪は、ますます広がっていき、新たな伝説を作っていってくれそうだ。【文/山崎伸子】