高良健吾&吉高由里子が『横道世之介』への愛情を語る「自分を前向きにさせてくれた」
「悪人」の吉田修一による同名青春小説を映画化した『横道世之介』(2月23日公開)。高良健吾と吉高由里子にとっても、「大好きな作品」と愛してやまない、かけがえのない作品となった。『南極料理人』(09)、『キツツキと雨』(12)の沖田修一監督がメガホンを取り、不器用ながらも真っ直ぐな世之介と周りの人たちを、優しさとユーモアに富んだ演出で包み込む。“普通の人々”を描きながらも、世界そのものが愛おしくなるほど、心を揺さぶられるのはなぜなのか。高良と吉高に話を聞いた。
高良が世之介役を、彼のガールフレンドでお嬢様の祥子役を吉高が演じる。ふたりのやりとりが何とも心地よく、観客全員が思い出すたびにニヤニヤしてしまうようなベストカップルを作り上げた。それぞれが、解放感あふれる笑顔を見せているのが印象的だ。高良は「それは、『横道世之介』という題材が大きかったと思います。横道世之介という役は、自分を前向きにさせてくれた。僕はその一週間前まで、違う作品をやっていたので、切り替えられるか、すごい不安だったんです。でも、沖田組がすごく温かくて。その沖田監督が、世之介役に僕を選んでくれたのだから、自分のなかから出てくる世之介を必死にやろうと思った。そこにルールはなく、セリフの立て方や間の取り方、覚えてきた演技の基礎みたいなものを、ポイって捨てることができたんです。そういうことをさせてくれる現場だった」と振り返る。
吉高もうなずきながら、「現場に殺伐とした雰囲気が一切ないんです。監督が好きで、この現場が好きだっていうのが、みんなの表情を見ているとわかるような現場で。自分の仕事が終わったら、誰か他の人の仕事を手伝おうとする人にあふれているんです」と話す。さらに、沖田監督の特徴を「何が起こっても、『カット』ってなかなか言わないんです(笑)。転んだとて、何かを落としたとて、ぶつかったとて、『カット』って言わない。そして、高良さんも、何があっても世之介でい続けてくれる。それを、ワンカットや長いカットで撮るというのは、沖田監督ならではの絵だと思います」と分析してくれた。
高良の沖田組への参加は4度目となった。高良は「沖田監督はいつも、『何か違う』って言うんです。沖田監督の『何か』っていうのは、ピンポイントではわからない。でも、一本の映画になると、その積み重ねが大きいことがわかるんです。その『何か』こそが、沖田ワールド」と話す。「沖田監督は、キスシーンを引きで撮っていくんです。普通、ふたりが初めてキスをするというシーンであれば、横に入りたくなると思うんですが、逆にガンガン引いていく。(池松壮亮演じる)倉持が泣いている場面でも、正面に入らない。それは、沖田監督の人柄だと思うんです。沖田監督は、キャラクターの気持ちを結果では見せない。その過程を見せるんです。終わっても、この映画が心に残っているっていうことは、やっぱり結果ではなく、大切なのは過程なんじゃないかと、そんな気がします」と、沖田ワールドの秘密を教えてくれた。
原作者の吉田修一も、「普通っていうのはレベルが高いんだなと感じた」と映画化作品に太鼓判を押した。なぜ普通の人の日常が、こんなにも輝いて見えるのか。吉高は「普通っていう感覚って、誰が決めたかもわからないし、難しいですよね。普通がレベルが高いということは、普通が理想なのかなとも思います。でも、祥子もそうだけれど、普通じゃないことがあっても、みんな自分のことは普通だと思って生きているのではないでしょうか」と、じっくりと考えながら話す。
高良は、自身の全てを注ぎ込んだキャラクターについて、こう語った。「世之介は、普通ではなく、めちゃくちゃドラマだらけだと思う。世之介は、何が起きても、横道世之介として、色眼鏡もかけず、ただそこにいる。目の前にいる人に対して、きちんと反応しています。流された場所だとしても、きちんと横道世之介として関わっていくんです。レベルの高いことを、普通に見せてしまうのが、世之介のすごいところ。この映画って、どのシーンが好きかと聞くと、みんな感想が違ったりするんですよね。状況は違っても、この登場人物たちと似たような気持ちを、絶対に誰もが通ってきているからだと思う。だから感動するし、共感するんじゃないかと思います」。
不器用で、のんきで、お人よしの横道世之介。世之介と、彼を取り巻く人々との出会いには、日常に潜む輝きがギュッと詰まっている。是非とも劇場で、世之介の笑顔に触れてほしい。【取材・文/成田おり枝】