第66回カンヌ国際映画祭を振り返って
カンヌ国際映画祭の上映作品は、一年間の世界を反映している。世界がどん詰まっているから、映画だって絶望的な世界を映すしかないのだ。貧困から抜け出そうとする若者たちは犯罪に巻き込まれ、裕福な若者たちは性と犯罪と暴力を遊び、愛を信ずる者は救われず、正義を求めるものは勝利しない。
それでも、2013年のカンヌはいつもと違った。絶望的な世界を反映していたとしても、その描き方はストレートでわかりやすい。何と言うか、底意地の悪い、陰にこもった作家の作品であることを笠に、監督だけがわかっている芸術映画、という感じの作品が少なかったのである。つまり、一般の観客が見て、内容とは別に楽しめる、わかりやすい、普遍的な映画が多かったのである。それは、想像にすぎないかもしれないが、審査委員長をスピルバーグが引き受けたことによるものではないかと思う。スピルバーグの審査委員長就任の発表は2月22日。長編作品の応募締切は3月11日(エントリー。審査用DVDの送付締切は3月14日)。ノミネート作品の選考で、審査委員長を考慮に入れることは可能なスケジュールである。
もしそうだとしても、それはカンヌ国際映画祭の堕落ではない。映画は芸術であると同時に、娯楽を提供するものでもあるからだ。伝統的に、カンヌ国際映画祭はこの意味においてオープンな映画祭である。最近で言っても、世界にタランティーノを送り出し、ポン・ジュノやパク・チャヌクといった韓国映画人を発掘し、ニコラス・ウィンディング・レフンを紹介したのは、紛れもなくカンヌ国際映画祭である。もともと、スピルバーグも1974年の長編劇場処女作『続・激突!カージャック』が第27回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞して第一線に躍り出た人である。ここ5年ほど、パルム・ドールが芸術映画に傾いているのを修正したいという意図を、2013年の映画祭事務局がスピルバーグに期待したということがあってもおかしくはあるまい。
そして、審査員団がパルム・ドールに選出したのが、フランスの作品『LA VIE D'ADELE』である。2時間59分の恋愛映画。若い2人が出会い、熱愛し、同棲し、倦怠し、浮気して、嫉妬して、そして別れていく。恋人たちが女性同士でなければ、何の変哲もない恋愛映画である。チュニジア生まれのフランス人監督アブデラティフ・ケシシュは、19歳の新進女優アデル・エグザルチョプロスと、26歳のスター女優レア・セドゥに恋人たちを演じさせ、美しいが過激なセックスシーンをふんだんに盛り込んだ。2013年のカンヌには、この作品をはじめ、コンペの『BEHIND THE CANDELABRA』(スティーブン・ソダーバーグ監督。実在の人気ピアニスト、リベラーチェと、彼に愛され捨てられた青年スコットの物語)や、ある視点の『STRANGER BY THE LAKE』(ある視点部門監督賞受賞、アラン・ギロディ監督。ゲイの出会いの場である湖のほとりで知り合った男が殺人者だった)など、同性愛を扱った作品も目に付いた。いずれの監督も「同性愛者の恋愛を描くことが目的ではなく、一般的な恋愛として描いた」と語る。折しも、この5月末はフランスで初めて同性婚が認可されるという時であった。これは偶然なのか!?
話を『LA VIE D'ADELE』に戻すと、この作品、とにかく下馬評が高かった。フランスもインターナショナルも、記者・評論家たちがそろって絶賛。見たこともないほど、パルム印が並んだ。それは過激なセックスシーンではなく(全く関係なくはないだろうが)、ほとんどセリフなしで繊細な感情を表現した女優たちであり、カメラであり、演出に対してのものだったと思う。カメラは2人をほぼクローズアップでとらえ、監督はセリフや説明的なミディアムショットを排除し、2人の感情や心理の変化を微妙な表情だけで繊細に重ねていった。女性同士のセックスシーンが長々と続く前半では、高齢の観客や夫婦の観客が席を立ったとも聞いている。だけれども、監督と女優たちは妥協することなく、この作品を見事に撮り切ったのである。だからこそ、スピルバーグは「パルムを3人に」というウルトラCでパルム・ドールを着地させたのだ。それには異議はない。
が、ここで一言だけ。この大絶賛に対して、フェミニスト評論家のなかには反対する者もいることは触れておきたい。美しすぎるセックスシーンが、男性が見たがる夢のようなレズビアンセックスシーンとして描かれているというのだ。それはレズビアンの女性が夢見るものではなく、男性の目で描かれているというのだ。色々な見方があるものだ。それがまた映画の面白さでもある。
日本の報道では、是枝裕和監督の『そして父になる』(10月5日公開)の審査員賞受賞のニュースで、他の作品の話題がほぼ消えてしまったのは残念だった。最初に書いたように、絶望的な世界を反映したような作品の中で、受賞に至ったのは希望を感じさせる作品たちである。『そして父になる』、男優賞の『NEBRASKA』(懸賞にあたったと信ずる老父を次男がしぶしぶネブラスカまで連れて行くというロードムービー。頑固老父を演じたブルース・ダーンが受賞)が見せた、家族の姿は感動的であったし、パルム・ドールの『ADELE』、監督賞の『HELI』(メキシコのアマト・エスカランテ監督。工場で働き、妻と赤ん坊と暮らすエリが、妹の恋人が関わった麻薬取引事件に巻き込まれて地獄を見る)、グランプリの『INSIDE LLEWYN DAVIS』(コーエン兄弟5回目の受賞。1961年、忘れられかけたフォーク歌手ルーウェンの仕事と自分探しの旅路)、女優賞の『LE PASSE』(アスガル・ファルハーディー監督。イラン人の夫を正式離婚手続きのためフランスに呼び戻す妻。彼女の新しい恋人の妻は病院で昏睡状態にあった。2人の男と子供の間で揺れる女をベレニス・ベジョが好演。女優賞獲得)は、傷付いても、したたかに生きていく人々の姿を見せてくれた。脚本賞のジャ・ジャンクー監督『A TOUCH OF SIN』は、今までとは違う世界を作り上げた作家への応援だったろう。
そして、第66回カンヌ国際映画祭は閉幕した。とにかく、来年こそはもうすこし明るい年に、と願い続けてもう10年経ってしまったが、世界が絶望的でも映画は希望を語れるのである。いや、それが映画の仕事の一つなのだ。そんなことを考えさせてくれた2013年の第66回カンヌ国際映画祭であった。【シネマアナリスト/まるつかわゆま】