患者と健常者の境い目はどこにあるのか? 精神医療を“観察”する映画―No.15 大人の上質シネマ
映画『精神』は、精神医療の現場をあるがまま映し出したドキュメンタリーだ。だが、そう端的に言い表す一方で、“精神”という題材、“ドキュメンタリー”というカテゴリーから漠然と抱く先入観を取り払って、まずは観てほしいと切に願う。“観察映画”と称されるこの映画を、どのように観てどのように捉えるかが、何より大切だからだ。
舞台は、岡山県岡山市にある外来の精神科診療所“こらーる岡山”。映画は、診療室へと向かう女性の後姿から唐突に始まる。ごく普通の民家のような佇まいの診療室には、医師と思しき普段着の男性がひとり。特に挨拶を交わすことなく、カルテを手にしながら何気なく「で、どんな状況?」と彼女に尋ねる。やがて、女性は「……もう死にたい」と泣きじゃくる。この冒頭5分のシーンだけで、きっと多くの人が心をざわつかせるはずだ。「何なんだ、この映画は?」と。
そして、カメラは“こらーる岡山”に訪れる患者の姿を、ただ映し出していく。「ご飯も食べたくない、お風呂に入るのもしんどい」とその苦しさを淡々と説明するうつ病の中年女性や、25年前、1日に18時間勉強し続けて倒れて以来ずっと受診しているという中年男性。そうした診察を受ける患者だけでも10名以上、診療所の畳敷きの待合室でお喋りに興じる人々の数を入れれば30名近くの患者が、ただ映し出される。その間、一切の説明的な描写がなく、音楽やナレーションすらない。
「なるほど、“観察映画”とはこういうことか」と納得させられる一方で、ある重要な事実に気づく。通常、こうした患者を映す時、テレビなどのメディアではモザイクをかけるものだ。だが、本作では、リストカットの傷痕も、虚ろな眼差しもズームアップで捉え、むしろ患者の“顔”そのものを映し出していくのだ。するとやがて、映画を観る側、つまり自分との違いを、無意識に探し出そうとしていたことに気づかされ、ハッとさせられる。
「当事者と健常者の間には、偏見という名のカーテンがある。けれど僕らから見たら、健常者は完璧なのか? 欠陥のない人間なんていないんだ」――この映画の中で語られる患者の驚くほど的確な言葉が、グサリと心に突き刺さる。社会で何らかの責任を果たしている“大人”には、精神的ストレスなど日常茶飯事だろう。それを正常とみなすか、障害とみなすか。この境い目が、実は驚くほど曖昧であることを、この映画は教えてくれる。そして、患者の心の根っこに見え隠れする、家族という身近な社会。人生のパートナーと一緒に、本作を“観察”することで、その身近な社会を見つめ直すきっかけになるのではないだろうか。【ワークス・エム・ブロス】
【大人の上質シネマ】大人な2人が一緒に映画を観に行くことを前提に、見ごたえのある作品を厳選して紹介します。若い子がワーキャー観る映画はちょっと置いておいて、分別のある大人ならではの映画的愉しみを追求。メジャー系話題作のみならず、埋もれがちな傑作・秀作を取り上げますのでお楽しみに。