監督、脚本、製作
もうひとつのホロコーストの歴史、ポーランド国内でただ一箇所残されたゲットー(ユダヤ人居留区)が設置されたロッツのケースを紹介したドキュメンタリー。監督はアラン・アデルソンとキャスリン・タヴェルナ。「山形国際ドキュメンタリー映画祭'89」参加作品。
ストーリー
アラン・アデルソンとキャスリン・タヴェルナの両監督はロッツのゲットーの人々が遺した日記や覚書を集め、その英語訳を切り貼りして編集した脚本をつくり、緻密に構成されたテキストをプロの俳優に読ませ、いわば声で演じさせて事実を再現するという独特の手法を用いている。これにあわせ、映像では現在の市街の光景と再現シーンや写真が、当時の記録フィルムや写真、ゲットーのなかの人々の描いた絵やスケッチと組み合わされ、構成されている。39年9月、ナチス・ドイツがポーランドを占領。ユダヤ人隔離・絶滅政策の一貫として、20万人のユダヤ系市民がロッツのゲットーに隔離された。ドイツ軍は過酷な強制労働と極度に制限された食料配給制度でユダヤ人たちを徹底的に搾取したが、ユダヤ人たちは自分たちがドイツ軍に有益である限りドイツ軍が彼らを殺すことはあるまいというかすかな希望を持ってドイツ軍にひたすら服従し、懸命に生産力をあげようと骨身を削って働いた。ゲットーでは栄養失調と過労で死者が続出した。ドイツ軍はさらに労働力にならないからと子供たちと高齢者を差し出すよう命令、それでもゲットーの人々は従い、10歳以下の子供たち2万人が連れ去られた。44年にもなるとドイツ軍の劣勢が明らかになったが、彼らは自分たちに協力したユダヤ人をソ連軍から守るという名目で、ついにゲットー疎開を勧告した。多くのユダヤ人がこれに従ったが、彼らを乗せた貨物列車が向かった先は、ドイツ国内の疎開先ではなく、彼らは2度と戻ってこなかった。ごく一部の者だけは命令に抵抗し、地下室などに隠れ住んだ。45年1月17日、ソ連軍が入市してゲットーを解放したとき、最初20万人いたユダヤ人たちのうち、生き残った者は800人に満たなかった。
スタッフ
監督、編集、写真撮影
キャスリン・タヴェルナ
原作
Alan Rosenfeld
原作
Oskar Singer
原作
Dawid Sierakowiak
ナレーション
イェジー・コジンスキー
撮影
Jozef Piwkowski
撮影
Eugene Squires
音楽
ウェンディ・ブラックストーン
ゲットー画
Yitzkhak Brauner
ゲットー画
Sara Glicksman
ゲットー画
Mendel gorssman
ゲットー画
J. Kowner
ゲットー画
Israel Lejzerowicz
ゲットー画
Hirisch Szylis
ゲットー画
Szymon Szerman
ゲットー画
M. Schwarz
写真撮影
Gary Becker
写真撮影
Mendel Grossman
写真撮影
Henryk Ross
歴史考証
Lucjan Dobroszycki
字幕